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完璧主義なわたしの失敗談#9なにがあっても自分は味方だと言い切る

どもどもORIGIN整体です。

自分の中で思い出したくない記憶があります。それは大学を中退したことです。今でも自分の経歴を話す時に隠してしまうことがあって未だに恥ずかしさをもっているんだなと気づきます。せっかく払ってもらった入学料だったり、東京で生活できる基盤をつくってくれたこと、受験のことなど親の苦労を思うとなんとも言えない気持ちになります。今日これを書くことでなにかしらのけじめをつけられるのかな?と思っています。

思えばこのブログには救われている部分があって、過去の自分に語りかけるようにこういう時はこう考えてみたら?という視点で書いています。いつもはタイトルつまりゴールから書き始めるのですが、今は思いつきません。これを書きながら考えてみようと思います。

高校3年生の時に東京にでることを決めて、東京でやりたいことを見つけるんだと意気込んで大学に通うため上京しました。右も左もわからないなか新生活ははじまり、バイトと学校を行き来する日々。1年生の間少人数ながら友達もいたのですが、心には常に不満と不安がありました。東京に出てきたからには何者かになって成果を残して帰らないと・・・そんな思いがありました。東京に来たらいろんなチャンスがあって、あーしよう、こーしようと頭の中で描くものの何も行動に移せず、翌日には1人電車に乗り学校に向かうそんな毎日。

大学に通い半年が過ぎふと思いました。「大学に通っているという保険があるから自分は動かないんじゃないか?」「追い込まれれば自分はなにかできるはず」根拠のない自信だけはずっとあって、自分を疑うことをしらなかった僕はその思考に飲み込まれました。それからというものの僕の頭の中は「東京でなにをするか?」よりも「まずはやめてから考える」という思考でガチガチになりました。

大学を辞める。自分でそう決意してまず真っ先にやらなければいけないことは親への報告でした。冬になり学校も休みなので実家に帰りました。1週間くらい期間はあったでしょうか。朝起きて今日こそ言おうと決意し、夜になり今日もいえなかったと後悔し、そんな風にズルズルと日々は過ぎていきました。どう親を説得するか?ということばかりが頭に浮かび、自分を正当化するために「残り3年間行きたくもない大学のために学費を払ってもらうのは悪いし」とか「弟も大学行くだろうから自分が負担にはなりたくない」とか自分勝手な考えばかりが頭に浮かんでいました。

とても正面きって言う勇気がなかったので手紙を書くことにしました。便箋を買ってきて手紙を書き始めるのですが、親に手紙を書くのは初めてだったので何度も手は止まりました。

思い返してみるとこの時頭にあったのは果たして親は大学を辞めるような親不孝な息子をこれからも好きでいてくれるだろうか?ということです。昔から親の周りの子供は学力優秀な子供が多く、親に恥をかかせたくないと必死に勉強を頑張っていたつもりだったのですが努力しきれない自分がいました。大学も胸をはって言えるような大学ではなく、それもこれからやめてフリーターになろうとしている。そんな自分でも受け入れて欲しいと必死の思い出手紙を書き上げました。

東京に戻る日。近くの駅へ母親が車で送ってくれたのですが、途中で車を止めて「本当は今回帰ってきたのはどうしても言いたいことがあって、ただ面と向かって言えないからこれ読んで」と手紙を渡しました。手紙を渡した時の母親のどこかせつない表情は今でもリアルに焼き付いています。車から降り、電車に乗り、そのまま夜行バスに乗りました。

すると母親からメールが入ってました。「手紙読んだよ。あなたの好きなようにしなさい。」と短い一言でしたが自分を思っての一言に涙が止まりませんでした。ずっと親にとって良い子でありたいと願ってきました。なるべく迷惑はかけないようにと。僕は昔から根性がなくて、勉強もスポーツも中途半端なにかに突出してるということはありません。兄弟も多く自分は愛されてないと決めつけていたのかもしれません。だからちゃんとしてるということ、ちゃんと親が望むであろう自分でいることでポジションを取りたかったのだと思います。

自分が親になって思うのですが、子どものことは無条件に好きです。良い子であっても悪い子であってもそれは変わらない。最後まで味方でいようと思います。自分の親もそう思っていると思います。ただ自分自身がそのことを信じられなかった。

親と子、上司と部下なんかの関係も同じですよね。期待はされたいし、でも結果がでなかったら怖いし。そんな時自分だったらどうされたいか。それは「ちゃんと味方でいるよ」と伝えて欲しいです。これほど心強いことはないです。失敗して嫌われるかも・・・そんな考えで頭がいっぱいになり動くことができなくなる僕の様な人にはぜひそういった言葉をかけてあげてください。

失敗に寛容になればチャレンジする精神が養われます。大学を辞めてからというものの、会社を辞める、何かを諦めるということに関してはほとんど抵抗がなくなりました。辞めた分だけ何かを始めたし、諦めた数だけ挑戦がありました。そのこと自体に後悔はありません。

今日大学を辞めたときのことを思い返してみると何度も手が止まりました。他にも辞めるにあたって失敗はあったのだけれど、親に大学を辞めるのを伝えるのが自分の中で一番震えた場面だったのでそれについて書きました。

何かを始める時、そして辞める時誰かの目を気にする必要はありません。また近くにいる人も「そんなことやめときなよ」というのではなく「なにがあっても自分は味方でいるから」と安心させてあげることが一番喜ばれると思います。

今日の処方箋

なにがあっても自分は味方だと言い切る