掬う

私が現在出演させていただいている蒸気展望の「掬う」
一昨日と今日、そして明日の3公演行われる。

本当はnoteなんて書くつもりじゃなかったけれど、2公演を終え色々感じたので文章という形でまとめたい。
だから今回はいつも以上にメモ書きのようなものになるかもしれない。チラシの裏にでも書いとけと言われればそれまでだけど、やっぱり発信したい。拙い言葉でも私を知ってほしいのだ。

私は演劇を学ぶ大学に入学したものの、その後演劇が大嫌いになってしまった。作品を作ることは好きだったけれど、そこに生じる人間同士の醜さ。なんて言ってしまえばかっこいいが、要するにどこか馴染めなかったのである。
集団で作品を作るにあたっていつも自分の存在意義を考えていた。11年演劇というものに一応関わってきた。でも毎回、何故自分がそこに存在するのか分からなかった。楽しかった思い出がないわけではないけれど、そういった意味で満足したことはなかった。
私がそもそも演劇をはじめるきっかけになったのは大人に認められたいという単純な理由だった。舞台に立つ私はきっと輝いていて、いじめられっ子でなんとなく居場所がなかった私でもそこにいけば沢山褒めてもらえるんじゃないかって。そう思っていた。
結局、認められることも居場所を見つけることもできなくて演劇をやめたいとずっと考えていた。
それと同時に、演劇しかやってこなかった自分が憎らしくて死んでしまいたいと思っていた。

そんな時、ひょんなきっかけで舞い込んできたのが蒸気展望からのお誘い。以前から主宰の安孫子さんのTwitterはフォローしており、ツイートが面白い人だなと思っていた。
だから単純に関わりたいと思い、「掬う」という作品に出演することになった。
今思えば、その時はじめて損得勘定を抜きに作品に関わりたいと思った気がする。

そうしてはじまった稽古。渡される台本。キャスティング。
役柄、演出、求められる役割、全てが初めてでとても困惑した。私にとっての演じるという行為を全て壊されてとても困った。
それと同時に嘘をつくのがめちゃくちゃ下手であることを自覚した。
嘘をついた芝居をするとすぐ見抜かれる。それは感覚的なもので、本当にするために様々な過去を振り返って当時押し殺した気持ちのようなものを掘り返す作業をした。
私の今回演じる詩織ちゃんは恐ろしいほど素直な子だ。一見私とは全く違う人生を歩んで違う考え方をしていて…と思っていた。
けれど殺した気持ちを生き返らせるほど彼女と私が繋がっていった。彼女は私とは確実に違う存在で趣味も合わないけれど、私の過去であり未来でもあることを実感した。
殺した感情を生き返らせるのはとても苦しい。憎しみや怒り、悲しみ、喜びを全部取っ払ってもっと最小の世界を見つめる。そんな作業に毎日エネルギーを費やす日々だった。

実はあまり役作りという役作りをしておらず、ほぼ自然体の自分で今回は舞台に立っている。けれど今思えば、この作業こそが役作りだったのかもしれない。
けれどこの作業は千穐楽が終わる時まで続ける。生き返らせる。
言い換えればこれが掬うということなんだろうか。掬われなかった感覚を掬う。私が私を掬う。

なんだか少し成長できた気がする。月並みな言葉しか出てこないけれど、この舞台に関われたのがすごく幸せだ。
あともう少しの時間だけれど、私は丁寧に精一杯掬います。ありがとう。

#日記 #演劇 #掬う #蒸気展望

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