見出し画像

自己紹介 / 今、noteを始める理由

はじめまして、マツウラです。
ご覧いただいてありがとうございます。
noteを始めるにあたって、わたしが何に悩み、何をしたい人間で、このnoteをどう使っていくのかを自分を勇気づけるためにも記しておくことにしました。


「自分、やべえ奴なんかもしれん…」

わたしは、少し変わった子どもだったかもしれません。
小さい頃は、おジャ魔女どれみよりも仮面ライダークウガ、ちゃおよりコロコロコミック、スカートよりズボンが好きな女の子でした。小学生では少年野球のチームに入りました。
高学年からは、何をしててもどーーーーしても頭に思い浮かべてしまう「女の子の友達」ができました。周りが「3組の男子で誰が好き?」みたいな恋バナでキャッキャしているなか、「今日は○○ちゃんと話せるだろうか…」とひとり悶々としていました(笑)

当時は、まさか自分が同性の友達に恋愛感情を抱いているとは思わなかったし、そんな発想もなかったので、「特定の友達に異常に執着する自分、やべえ奴なんかもしれん…」と真剣に悩んでもいました。

そんな誰にも言えない悩みが思春期を経てどんどん大きくなり、その他の要因も組み合わさって、とうとう高校1年生でうつ病を発症してしまいます。家や図書館に引きこもる1年間の不登校期間を経て社会復帰しましたが、その後、大学を卒業するまで自分が同性愛者であることを受け入れることができなかったし、受け入れたところで悩みが軽くなるわけではありませんでした。

揺れ動く間、一番つらかったこと

それは、「嘘をつき続けなければいけないこと」です。

例えば、合コンに誘われたとき、「仕事が忙しい」やら「都合がつかない」やら嘘をつかなければなりませんでした。このような言い訳も二、三度なら通じますが、それ以上は友達に申し訳なくて言いにくくなってきます。
「男に興味がない」と言えばいいじゃないと思う方もいるかもしれませんが、わたしにとってはそれさえも嘘でした。確かに、男性には性的な興味はありません。けれど、女性にはあります。
一般的に「男に興味がない女性」というと、恋愛に興味がない、サバサバしている、仕事に打ち込んでいるなどのイメージがありませんか? わたしは、女性には興味津々な恋愛大好き女なので、そのようなイメージを持たれると「自分が自分ではない感覚」になってしまいます。

また、自分自身が同性愛者であるとカミングアウトをした相手にも、嘘をついていました。
そのときのわたしは、「わたしは同性愛者だと思う。思うけれど、異性愛者である可能性を捨てきれないし、捨てるのが怖い。だから男性ともお付き合いをしてみている」という段階だったからです。
どういうことかと言うと、自分が"同性愛者らしからぬ"行動をしているのに、友人には自分は同性愛者だと伝えていたのです。(別途書きたいと思いますが、「"同性愛者らしからぬ"行動」っていう考え方もイヤです。この頃は「自分がイヤだと思う考え方をしている自分」のこともすごくイヤでした)

わたしは、堂々と「わたし女の子が好きだから合コンはやめとく」と言いたかったです。だれかを傷つける前に、「自分のことがまだよくわからないし、なんだか怖い」と相談したかったです。
これができなかったのは、わたし自身の弱さでもあり、そして、社会に存在する差別や偏見のせいでもあったと思っています。
(だれかを傷つけたことを正当化するつもりは全くありません)

どんな子どもも自分に自信を持てるように

社会人になってからは、特別支援学級教員・発達凸凹のある子どもの療育・貧困家庭の子どもの居場所支援などの仕事をしてきました。

生きづらさを抱える子どもが、自分のことを認めて、自信を持てるようなサポートをしたかったからです。
これは、「あの時、わけもわからず不登校になった自分」「あの時、誰にも本当の悩みを言えなかった自分」のような子どもを救いたいという気持ちが原点になっています。

仕事を続けるなかでも、その思いは強くなっていきました。

インクルーシブ教育を実践している学校で働いていた頃の話です。
ある日、発達障がいのある子どもから「俺ってバカなんかな?支援学級ってバカしかおらんのやろ?ガイジなんやろ?」と聞かれました。同級生の言葉やネットの書き込みを見て傷ついている様子でした。わたしは「人にはいろんな得意不得意があって、特別なサポートが必要な人が支援学級に入ることがある」と伝えましたが、その子の顔は曇ったままでした。その子は自分と同じような境遇の人を下げる発言もしており、混乱していることが見て取れました。

わたしは、「これって、意味ないじゃん」と思いました。
わたしの発言がこの子を救えただろうか? わたしの関わりがこの子の自信につながっただろうか?
「人にはいろんな得意不得意がある」ことで、誰かが損をしている環境では、わたしの発言はきれいごとでしかありません。「特別なサポートが必要な人」が異常扱いされる環境では、自信が生まれるどころか、心が崩れ落ちていってしまいます。

この経験から、「誰もが自分らしく暮らせる社会の仕組みをつくりたい」と考えるようになりました。

現在は、オンラインのフリースクールで子どもたちの可能性を拡げるお手伝いをしながら、自分にできることを探そうと模索しています。

今、noteをはじめる理由

わたしが今後の人生で成し遂げたいこと、目指したいことを考え、発信し、仲間を見つけ、行動するためにnoteを始めます。

今のわたしは「生きづらさを抱える子どもたちのサポートをしたい」「誰もが自分らしく暮らせる社会をつくりたい」とざっくり考えているだけの状況です。

しかし、最近、社会課題を解決する地方プロジェクトに参加するご縁があり、そこでわたしの考えが変わりました。

社会課題を解決するのって、大きな企業やパワフルなスーパーマンだけじゃないんだ。小さな取り組み一つひとつが社会課題の解決につながっていくんだ。わたしみたいな自分の面倒を見るのも精一杯な人間にも、何かできることがあるのかもしれない。そう思い始めました。

今、社会で何が起きていて、何を解決するべきで、自分に何ができるのかをもっと具体的に考えて、行動を起こしたいと思っています。
そのために、自分一人で考え込むのではなく、いろいろな人と対話し、事例から学び、行動したいと考えています。

このnoteは、わたし個人の学びや考えを発信することで、さまざまな方とつながり、学び、行動を起こすエネルギー源として活用するつもりです。

まだまだ未熟者ですが、どうぞよろしくお願いいたします。


この記事が参加している募集

#自己紹介

231,424件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?