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若者の「やりたいことがない」は当たり前だということを知ってほしい

仕事柄、高校生や大学生などの若い世代と触れ合う機会が多い。
そんな中、
「やりたいことがないんです。」
「どうやってやりたいことが見つけるんですか?」
などといった、よくある話を耳にする。

10-20代に限らず、今の30-40代もそういった方々は多いのではないでしょうか?
もしかしたら自分も当てはまるなと感じる人もいると思います。

今回は「やりたいことを見つける方法」などといったものではなく
「なぜやりたいことがわからないのか」について考察したいと思います。

時は遡り、戦後1945年(昭和20年)の頃、日本は焼け野原でした。
なにもなく生きることが最優先事項であり、「国の復興」という旗のもと
皆がそれぞれにできることをやらないと生きていけない時代でもありました。そんな彼らは助け合い、技術を磨き、「生活ができていること」が幸せだった時代。

今の時代は皆様のおかげです。ありがとうございました。

次に訪れるのは、高度経済成長期でありバブル経済の経験者である皆様。
とにかくお金を使い、羽振りがいいことが幸せだった時代。
「車」や「時計」などといった「ステータス」至上主義の中、
年功序列や生涯雇用という傘に守られ、大して仕事のできない人が上司になり、不平不満をいいながらも扇を振り回していた時代。

ここから少しおかしくなってきました。ありがとうございました。

そして失われた30年という、低迷期を必死に支えてくださっている皆様。
少し上を見ればバブル経済の名の下、過去のステータスを振りまき
全く仕事ができない上司に頭を下げる日々。とにかく「現状を守ること」が幸せだった時代。良い大学に入り、大手の企業に行き、安定した雇用のもと家庭を築き、家を買い、ほのぼのとした家庭をもつことが一つの幸せのカタチだと確立された時代でもあり、公務員が生涯安定だと大人気になりました。

お父さん、お母さん、何気ない日常の幸せをありがとうございました。

そんな、安定志向100%の親世代から育てられた僕たちはどうでしょう?
「国の復興」や「ステータス」といったわかりやすい旗はなく、生まれたときから着るものや食べるもの、住む場所がすべて準備されており、「ステータス」至上主義時代を生き抜いた祖父母からあらゆる恩恵を受けています。
技術革新も進み、欲しい情報は機会均等に手に入り、今や無料ですべてのことができます。

そんな中、公園からは遊具が消え、「現状を守ること」が信条の親から
ゲームはダメ、危険な遊びもダメ、あれもダメ、これもダメ。
そんなふうに育てられてきた僕たちは、悲しいかな。もう前が見えなくなりました。

「やってみなさい」の一言があれば興味の赴くままチャレンジができる環境にいながら増えた選択肢以上に選択肢を狭められ、制限され生きてきました。

そんな僕たちに突然言い放たれる非情な言葉
「あなたのやりたいことはなに?」

あるわけないだろう。
今までやりたいことをやりたいと言ってきた結果がダメという抑圧や規制。

やりたいということ自体に否定されるんじゃないかという恐怖を植え付け、
できたとしても、すべて監視のもと結果を求められる。

現代の若者は一見自由に見えるが、最も不自由な時代に生きているのかもしれない。それをわかってあげて欲しい。
まずはやりたいことを言える環境を作るところからなのだ。
自分の興味の方向性も自分でわからないのだ。

本当はあるはず。
「うどんと蕎麦どっちが好き?」
これくらい簡単なノリで見つかるはずなんだ。

ただ彼らは言えない。
怖いのだ。否定されるのが。自分なんかがそんな事を言っていいのか不安なのだ。だからSNSに自分の居場所を求める。
似た者同士で繋がり、価値観を共有し。称賛し合う。
そうしないと心が持たない社会に生きている。

そんな若者に僕は聞く
「どんな社会になってたら面白い?」

面白いほど出てくる。
「車が空を走ってると思います!電光掲示板が空に浮いていて…いや、フロントガラスに道が表示されている!」
「ロボットが自宅で料理を作ってくれている。好きなものや栄養バランスを考えた食事が自動で出てくる!」
若者よ、そんな社会はもうすぐそばに来ているぞ。
もうすぐできる。なんなら君がやればいいじゃないか?

それくらい簡単に決めていいものなんだと知ってほしい。
僕たちは残酷な時代に生を授かったのかもしれないし、これ以上にない可能性に溢れている時代に生きているのかもしれない。

つまるところ、やりたいことがないのではない。
やりたいことをやりたいと言える社会ではないのだ。
出る杭は打たれるし、出すぎる杭は引っこ抜かれる時代なのだ。
だからまだまだ大手企業至上主義だし、学校も偏差値が基準だ。

僕は言いたい。
大手は昔ほど、あなたに与えられるものはありません。
大学も学費と釣り合う内容は教えてくれません。

やりたいことがわかりません。
それは仕方がないね。
ただ仕方がないねで終わっちゃ人生つまらないよ。
過去は過去、これからの未来は自分で決めればいい。

数名にも満たない会社に飛び込むのもよし、
カフェがやりたいなら超低金利の今融資を受けてやればいい。
海外に行きたいなら行けばいい。

やりたいことは「一生かけてやること」ではない
「今」あなたがやりたいと思った「ほんの少しの興味を温め育てる」ことなのだ。

否定する人はもういない。
あなたはあなたの人生を生きていいんだ。

少し話はそれましたが、
時代を追ってみるとこんな感じではないのかと思います。
僕は「やりたいことがない若者」ではなく「やりたいことが言えないまま隠してしまっている若者」だと考えます。
きっとあるが自覚できないほど、小さく角に追いやられているだけだと。

そんな子が周りにいたら、きっと持っているという気持ちで話を聞いてあげて下さい。
あなたがきっとその子の助けになります。