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ドラクエで語る型の話:合気道の型稽古について

この世には合気道と似ているものがたくさんある。そんなわけで今回はドラクエをはじめとするRPGの型と合気道の稽古方法である型稽古が同じだぞという話しをしよう。

合気道は型稽古といってあらかじめ勝つ側と負ける側が決まった稽古をしてる。
そんな決まっているものをやって何の役に立つんだ? という人にわかりやすく説明すると、型稽古とはドラクエとほとんど同じだから面白い。もっといえばほとんどのRPGと同じだ。

ドラクエなどのRPGには基本的に共通の型がある。
勇者になって魔王を倒す。あらかじめ勝ちと負けが決まった型だ。でも楽しいでしょ?

RPGの型は何が面白いのか

RPGにも色んな型がある。
例をあげるならドラクエの型、FFの型、ポケモンの型、ゼルダの型ってところだ。
こういうゲームに共通しているのは、ラスボス的な目標が設定されていて、そこを目指すこと。

だけどゲームって、別にラスボスを倒すのが楽しいからやるわけじゃないし、
ラスボスを倒すゲームだから売れているわけでもない。大事なのはその過程となるシステムやストーリーの方だ。
そうじゃなきゃ、何回も最初からやり直したりなんてするわけがない。

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(ウロボロスWikipedia)

RPGとはウロボロスの円環の中をそうと知りながらあえて彷徨うことである

勇者になって魔王を倒す系の型というのは、そのゴールに到達するまでの過程に色んな方法があることに面白さがある。

繰り返すことに意味がある

型はある意味ではループものの世界だ。
基本的なものというのはそんなに大差ない。中身のバランスに色々な味付けがあるだけだ。ドラクエもFFもポケモンもゼルダも、なんならその他のほとんどのものは勇者が魔王を倒す型の中にある。
だけれども、型があるからその中身が自由になるのだ。

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(荒木飛呂彦『スティールボールラン』より)

型稽古をするジャイロ・ツェペリとリンゴォ・ロードアゲインの図

仲間を連れずに一人でクリアするとか、レベルを上げずに効率よくクリアするとか、
本来ならできることを放棄して難易度を自ら上げる縛りプレイ、あらゆるシステムを利用して最短時間でのクリアを目指すRTA、
同じゲームでも楽しみ方は無数にある。

これがそのまま合気道の型稽古の楽しみ方にも通じていく。
色んな内容の稽古があって、それぞれが型になっている。一方がもう一方に最終的には勝つけれど、その過程では自由に色んな試みをすることができる。
筋力に頼らないで、武器を持って、触らないで、全力で抵抗されて、色々なことがやれるという自由度が入っているのだ。

過程に学びがある

RPGとはロールプレイングゲームの略で、ロールプレイとは役割を演じるという意味だ。
特定のルールの中で役割を演じるという意味では合気道の型もロールプレイングゲームと言えるだろう。

ロールプレイングゲームの楽しさは魔王を倒すまでの過程にこそある。
ストーリー、システム、そして独自の解釈、最適化、縛りプレイ、様々な方法を試しながら型を味わい尽くす。

現実は都合のいいゲームではない。でもだからこそ、型をやることの意味がある。
努力は報われるわけではない。では報われるにはどうすればいいいのか?
それを考えるために型はある。反対に言えば型というのは現実にも対応できないと意味がない。
型の中にある学びをどうやって型の外へと持っていくのかを考えるのが、型稽古の面白いところだ。

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(うめ『東京トイボックスより』)

まとめ

ゲームってクリア目前までいくとやる気なくなったりするよね?

あれってやっぱ、魔王を倒すことが自分の目的じゃないからなんだろうな。

ゲームの主人公たちの目標とおれの目標は一致してるわけじゃない。




GAME OVER


マツリの合気道はワシが育てたって言いたくない?