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合気道で考えた「武」の意味について:なぜ合気道は武産合気なのか?

合気道をやってると何故か古事記についても多少の知識がつく。

古事記の序盤は合気道要素てんこ盛りだ。

久しぶりに序盤を読んでいて、日本の武って産み出すことを指すんだなと納得したので解説してみる。

漢字の成り立ち

漢字の「武」という字はほこを持って歩く人の姿を象ったと言われている。

もともとの由来は曖昧なので、武道や武術においては「ほこを止める」とも言われて、武術の在り方を説明するのに使われたり。

要するに一般的な武の解釈としては、武装とか護身だというわけだ。

日本の武の解釈

日本の武というのは単なる暴力よりもわりと高い位置にいる。その理由は古事記に由来するんじゃないかなと思う。

日本で一番最初に矛を使ったのは国を産み出したとされるイザナギとイザナミで、「天沼矛」アメノヌボコを使って海をかき回し固めて島を生み、そして神々を生み出した。

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そもそも日本の国土や神の誕生は一本の矛から始まっているというわけ。

なぜ武産合気たけむすあいきなのか?

合気道の創始者、植芝盛平は神道系の宗教である大本教に所属していたし、色々と古事記の研究もしていた。

だからこそ武は矛による産み出しだと解釈しても不思議ではないし、合気道で相手と自分のつながりによって色々な技が産まれることもその実証みたいな感じに捉えられたのかも知れない。

植芝盛平は合気道の極地を武が無限に産み出される『武産合気』だと表現した。

一般的には武といえば戦いのためのものだし、暴力の延長といわれてもおかしくはないけれど、日本に関して言うなら、イザナギとイザナミの二柱の神が矛を持って世界を産み出したからこそ、武というのは産み出しなんだと思う。

そんな解釈もアリじゃねーかなと。


おわり




マツリの合気道はワシが育てたって言いたくない?