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『パンドラ』から考える幸せの正体:上遠野浩平作品解説

上遠野浩平によるブギーポップシリーズの3作目『パンドラ』をひさしぶりに読み返して気がついたことを書く。

この作品を知らん人でも、幸せとは何かということの一つの結論について参考になるかも知れない。


パンドラの匣

ギリシャ神話ですべてを与えられたという意味の名を持つ女、パンドラは神々から与えられた禁忌の箱を開けてしまい世界に不幸が舞い散る。

しかし、かろうじて希望、あるいは未来だけは箱に残った。

では、この不幸にまみれた世界における希望、ないし未来とは「幸せ」なのか?

あらすじ

軽く内容を説明すると、これはほんの少しだけ未来を予知できる能力をもった者たちの出会いと別れの物語だ。

「よう、お二人さん」
「誰だよ、お前」
「いや、ほら、思い出せないかな、ほら六人でよーー」
いけね  こいつは未来のことだ!

上遠野浩平『パンドラ』より一部抜粋

未来を部分的に予知できる者たちが互いに互いが出会う未来を予知しあって6人の「能力者」が集まり自分たちの未来に翻弄されていく。

6人はそれぞれが予知できる未来がわずかで、視覚、匂い、声、絵、文字、感覚をつなぎ合わせて未来を探る。

時には大金を得たり、時には人助けをしたりするが、無駄足も多い。それでも6人は集まっては未来を探ることをやめない。

やがて1人の瞳にブギーポップの名で噂される「死神」が映ったことで、終わりが始まっていく。

物語の結末

結果的に彼らは半数が死ぬ。
そして世界を絶体絶命の危機から救う。

彼らが予知していた未来は実は世界の崩壊をギリギリの所で救うことのできる未来だった。

そのために大きな犠牲を払ったにもかかわらず、彼らには大きな後悔はない。

全員が招いてしまった未来に納得して挑んでいったのだ。

幸せとは何か?

「幸せ」とは拍子抜けするほど単純なものだけれど、だからこそ気づくことができない。

気心の知れた仲間と集まったり、相性のいい相手や物事に「ハマっている」瞬間。

そんな些細なことこそが本当の幸せで、そのことに気づかなければ幸せは泡のように消えていく。

幸せとは気づくもの

作中の能力を持った者たちはみんなで欠けている部分を補いあったけれど、彼らにとって未来を予知すること自体は重要ではなかった。

仲間たちと集まっていたことの方が大切で、けれどその関係がいつまでも続かないことも理解していたのだろう。

幸せは長くは続かないから幸せで、後にはかけがえのない黄金のような思い出だけが残る。

ブギーポップというのは「その人が最も美しい時に殺しにくる死神」と噂されていて、作中でも幸せが美しく燃え尽きていく様を見届けていく。

歪曲王という続編

このことを象徴するのが続編で登場する歪曲王という存在だ。

上遠野浩平は「陰陽」の作家だと思う。この「パンドラ」が陽だとするなら「歪曲王」は陰のような対の存在だと言える。

歪曲王は多くの人々に夢を見させ、過去の心残りだった体験が黄金へと変わるように仕向けていく。

すべてを手にしていて後悔しなかった者達の物語だったパンドラとは逆に、黄金を手に入れ損ねた者たちの回復の物語が歪曲王だ。

幸せは泡のように

幸せとはつかまえておくことのできないものなのだろう。

そこにあるということに気がつく以外にはどうすることもできない。

でも確かに、そこにある。

仲間と呼べる者たちと夜がふけるのも構わずに語り明かす。

そういう幸せは確かにそこにあるけれど、それは泡沫のようにすぐに消えてなくなる。

できることは見逃さずにそのことに気がついてやることだけだ。

開けてしまって取り返しがつかなくなったパンドラの匣の底に何かが残っていることに気がつくように……。







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