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合気道にまつわる剣の仮説:剣の姿勢について

稽古をしていて今さらながら「合気道は剣が基本」という言葉のひとつの意味に気がついたので説明してみる。

ごく簡単にいうと、合気道で型稽古をしているほとんどの人というのは実は相手の方に寄りかかっている。

それはつまり自分のバランスを微妙に崩しているということだ。

反対にちゃんと剣を構えている時というのは決して相手の方に前のめりにはならない。

この微妙な姿勢の違いみたいなものが、相手を持っているのか、持たれているのかの違いでもあると思うようになった。

歴史の仮説

合気道の歴史は、そもそも武田惣角という人が大東流という不思議な武術を生み出したことからはじまる。

惣角は大東流を甲斐武田家や会津藩に伝わる極秘の流儀だったと言っているのだけれど、惣角の経歴を調べると剣術の稽古が多い。

極秘武術だから証拠がないと言われればそれまでだけれど、あまりにも大東流が昔から存在していたと言う証拠がない代わりに、惣角が剣術をかなりやっていたという証拠はたっぷりある。

この剣術の構え、考え方を素手でも応用して相手に技をかけると、相手に寄りかからない技法になっていくのではないかと思う。

こうした徒手空拳とは違った発想の動き、姿勢、思想が大東流や合気道を特別なものにした可能性はある。

持つか持たれるか

剣を構えている状態で相手にどこかを掴まれた時と、素手で相手にどこかを掴まれた時というのは大きな違いはないがとってもビミョ~な違いがある。

剣を構えるためにわずかに重心が低いとか、やや後方にあるといった程度だろう。

ただ、この「持つ」姿勢というのが大事なのだ。

少し考えてみればわかることだけれど、何か物を持つ時にその物体によりかかっているということはあり得ない。

バーベルに寄りかかっていたら持ち上げることなんてできない。自分がしっかりと立ってバーベルを引き寄せてこなければいけないのだ。

人体という難しさ

バーベルで例えるとわかりやすいのに、いざ対人になると人は自分の崩れやもたれかかりに無自覚になる。

たぶん物体を掴んだ時とは別に、人は人に掴まれたりするとその瞬間に相手に依存するのだと思う。

二本足という極めてアンバランスな状態で立っているからこそ、何か支えがあればそれに無意識に依存する。

こうした性質に自覚的でないと技をかける姿勢にならないのかも知れない。

相手によりかかればよりかかるほど技は効きにくくなる。

剣という指標

剣を構えるということは自分が相手に寄っていないという指標になると思う。

そういった意味では合気道は剣が基本なのかも知れない。

ただ、これはわかっていてもなかなかできない。やっぱり相手の力だとか圧力によって自分の方が姿勢を崩してしまうということが起こる。

そういった余計なことをしなようにするのが日々の稽古なのだと思う。




マツリの合気道はワシが育てたって言いたくない?