葛城文書 縄文
あまりにも最近の日本の情勢は悪い。
それは戦後、まともに教育が行われていない状態になって、現在までその尾を引いている。
日本人が日本人としてのプライドを取り戻し、豊かな国にならないと少子化にも歯止めがかからない。
そのために葛城王朝・葛城襲津彦の末裔である葛城トオルが本当の歴史をシェアするものである。
総称として「葛城文書」と名付けた。
葛城文書
その1・縄文
縄文時代がいつから始まった?という問いに16500年前という答えをだす方は多いと思う。
が、しかし文明の始まりという観点から見れば、それは違うだろう。
では文明の始まりはいつか?というと、この答えは石器時代であろう。
ただこの石器時代から縄文時代にかけて見落としている事柄があるのは事実だ。
石を加工してモノを切るという行為は明らかに文明の始まりである。
その次の段階として、その鋭利な石器を使って槍や銛を作るとき、紐が素材として使用される。
木の棒、紐、石という異なる三種の素材を使って道具が生み出されたわけである。
これを文明といわずして、何であろうか。
この頃からおそらく石器人は「巨石」や「巨木」を神として信仰してきたのである。
なぜ、巨石や巨木が神と思われたのであろうか?
それは人間の寿命では把握できないほど、その巨石・巨木は長くそこに存在していたからである。
自分が産まれて、ものごころついた頃、それらはそこに存在し、自分が死ぬ頃にもそれらはそこに存在する。
自分の父や祖父に聞いても、それらはそこに存在していた。
人間の叡智を超えた存在こそが「神」である。
そしてそれらは人間の信仰の対象となったわけである。
道具も進化をとげることになる。
紐は植物の根や木の皮などでその役目を果たしていたわけだが、もっと強い素材が必要となって、発明されたのが「縄」である。
現代人は「縄をなう」ということとは疎遠になっているが、それは何万年も前から現在まで続いている技術である。
縄をなう時には、片方は時計回り、もう片方は反時計回りで、かなりのチカラを込めて仕上げることになる。
プラスとマイナスが打ち消し合って、真っ直ぐな縄ができあがるのである。
一生懸命にチカラを込めて作った縄に「パワーが込められている」という感覚が生まれたのである。
この時点で、この縄という道具は、家を作ったりという実用的な発明であったのだが、
それに加えて霊的(スピリチュアル)な道具というものが生み出された瞬間であったということだ。
もちろんこの霊的な道具はプラスとマイナスで成り立っている。これが「陰陽」の始まりである。
そしてこのパワーが込められている縄という道具は、そのパワーを活かして「結界」を張る道具として使用される。
巨石や巨木に「注連縄」が巻かれているのは、そういう理由である。
そして不浄な場所と神聖な場所を区別するために、「鳥居」が建てられ注連縄が張られるのである。
これが神社の始まりである。
巨石や巨木を信仰していた人間は、その神への捧げものをした。
それは狩猟した獣や収穫した植物であり、それらに対しても敬意をはらっていたのは言うまでもない。
そして信仰の形や方法が代わっていくし、供物の捧げ方も代わっていく。
土器が発明されて使用されていたが、神に捧げものをする際に、この土器にパワーを宿らせる必要があり、
そして土器に縄の文様をつけたものが縄文土器である。
つまり土器に縄のパワーを宿らせたものが「縄文土器」である。装飾という意味だけではなかったということ。
縄文土器が発明される以前には当然「縄」が発明されているわけだ。
人類にとっての最大の発明は、「縄」だったのかもしれない。
そしてそれは気の遠くなるような昔であることは間違いない。
これを日本人の祖先であった人達がおこなったことに対してプライドを持たなければならない。
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