葛城トオル

妖怪堂店主。古物商四代目。嵯峨美大から大手印刷会社デザイナーを経て、家業を継ぐが、ある…

葛城トオル

妖怪堂店主。古物商四代目。嵯峨美大から大手印刷会社デザイナーを経て、家業を継ぐが、ある日、自分が妖怪の子孫と気づき、妖怪伝道師となる。独自の切り口で、京都の魔界や妖怪伝承を解明している。僧侶。一生修行中。

マガジン

  • 妖怪堂の京都魔界エッセイ

    京都で生まれ育った妖怪土蜘蛛の子孫・葛城トオルが思いつくままに書いたエッセイです。 京都愛を込めて書いていますので、どうぞお楽しみください。

最近の記事

葛城文書 縄文

あまりにも最近の日本の情勢は悪い。 それは戦後、まともに教育が行われていない状態になって、現在までその尾を引いている。 日本人が日本人としてのプライドを取り戻し、豊かな国にならないと少子化にも歯止めがかからない。 そのために葛城王朝・葛城襲津彦の末裔である葛城トオルが本当の歴史をシェアするものである。 総称として「葛城文書」と名付けた。 葛城文書 その1・縄文 縄文時代がいつから始まった?という問いに16500年前という答えをだす方は多いと思う。 が、しかし文明の始まりと

    • 地蔵菩薩と閻魔大王

      死んだらどうなるの? マー君はお母さんに聞いた。 お母さんは「なぜそんなことを聞くの?」ってマー君に聞いた。 「だってこわいもん」 そりゃあ大人だって怖いからね。仕方ない。 今ではあまり言わなくなったけど三途の川を渡るんだよ。 へえ?三途の川って何? あの世というのは川の向こう側にあるの。 それで死んだらあの世に行くの。 三途の川というのは三通りの渡り方があるので三途の川というの。 善人が渡るときは橋が現れて橋の上を歩いて渡れるの。 普通の人が渡る時には膝までとか腰までが川に

      • 妖怪堂の京都魔界エッセイvol3玄武神社

        前項でお話したとおり怨霊を味方につけて都を守るシステムが構築されたわけだが、これは気持ちにケリをつけるということ。 つまりソフト面と考えられる。 ソフトがあればハードがある。 安易に長岡京に遷都を決めたのだから失敗したということだ。 この失敗を機にハード面も見直そうという考えになる。 では都を建てるのに、ふさわしい場所の選定からやり直そうということになった。 そこで良く出来ていると噂に名高い「中国の長安」の都を手本とすることにした。 その都は「四神相応」という考え方の

        • 祇園祭はユダヤの祭か?

          祇園祭とは古代ユダヤのZION祭である。 こう言うと、またトンデモ話かと思われそうだが、以下のような話もある。 8年ほど前にテレビで「祇園祭というのは起源と経過と結果が古代イスラエルのシオン祭と全く同じである。」 と当時の祇園祭鉾町連合会の会長さんで阪大名誉教授でもある深見茂さんが言われた言葉である。 会長さんがこの言葉を発するということにはそれなりの理由があるだろう。 古代イスラエルのソロモン王の時代に疫病が流行り、それを鎮めるための祭がシオン祭であり、 当時聖地エルサ

        葛城文書 縄文

        マガジン

        • 妖怪堂の京都魔界エッセイ
          3本

        記事

          ◆葬送のシステムと地獄絵

          現世で人が住み、そこで亡くなると山野辺に遺体が送られる。これが「野辺送り」です。 京都の場合、盆地で山に囲まれているので洛中を中心として放射線状に野があり、そこに行く葬列の通るルートが設定されていく。 現世から三途の川を渡り、その野に至るまでの葬送のルートに「辻」があります。 「辻」とは「寺」がある場所であって、最初、洛中には寺院は無かったということです。この辻が死者と最後のお別れの場となります。 この「辻」は あの世とこの世のわかれ道であり、精神と肉体が分離される場所でもあ

          有料
          3,000

          ◆葬送のシステムと地獄絵

          京都魔界エッセイvol2 将軍塚

          「将軍塚」ときいて 誰しもが思い浮かべるのは、きっと将軍様のお墓なのであろうという憶測なのだが。それとはちょっと違う。 これは京都人でも知らない方が多いのではないだろうか。 場所は青蓮院門跡の敷地内にある。 映画「陰陽師」では、怨霊・早良親王を祀ったという設定になっているが史実ではない。 平安京が建てられる時、都が見渡せる場所に守護神を祀った。 当時の世の中で一番武力的に優れた人物が「征夷大将軍 坂之上田村麻呂」である。 この人のチカラを借りて都を護る守護神としたのであ

          京都魔界エッセイvol2 将軍塚

          京都魔界エッセイvol1 崇道神社

          京都で生まれ育った妖怪の子孫・葛城トオルが思いつくままに書いたエッセイです。 京都愛を込めて書いていますので、どうぞお楽しみください。 妖怪堂の京都魔界エッセイVOL1 崇道神社 皇位についた桓武天皇は 悩ませれていた。80年余り続いた平城京には 長老達が沢山居て政治に口出しをするからだ! そこで長岡京遷都を思いつくわけである。内密にそれは進められた。しかしそこにはリスクが伴うのだ。 そして案の定 反対勢力ができてしまう。 これに気転をきかせた桓武天皇は、邪魔な存在までも

          京都魔界エッセイvol1 崇道神社

          第二期平安京の概念

          京都の基盤となった平安京 この都がどのような範囲と概念をもって建てられたのかを解説していきたい。 ただ四神相応という考え方があるがそれはまた別項でお知らせしたい。 現在の阪急電鉄京都線の西京極駅というところがある。この西京極という表現は地名ではなく平安京の一番西の縦の通りの名前だった。「西京極大路」という名前です。 字のごとく、京の西の極みの道 ということになります。ここから西は京都じゃないよ! というような意味合いですね。 その通りの外側が天神川になります。平安京が出来た

          有料
          3,000

          第二期平安京の概念

          noteはじめました!

          はじめまして葛城トオルです。 自己紹介です(^^ 【葛城トオル・プロフィール】 妖怪堂店主。古物商四代目。1961年 東山三条にて生まれる。母方は堀川下立売 祖父の渡辺弥平は着物柄の発案師であり、宮に仕える絵師の家系と伝わる。 嵯峨美大から大手印刷会社デザイナーを経て、家業を継ぐが、ある日、自分が妖怪の子孫と気づき、妖怪伝道師となる。独自の切り口で、京都の魔界や妖怪伝承を解明している。僧侶をいただくも一生修行中。僧籍名)玄幽 【現在までの主な講義】2012高台寺・圓徳院

          noteはじめました!