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新しい一日が始まる。

朝はいつも通り、いつもの山へ。二日酔い気味だったけれど手稲山を40分かけてゆっくりロードバイクで登って、下る。その後は近所の脳内科に行き、脳波の検査を受ける。一月に職場で突然意識を失って倒れて以来、定期的に検査を受けている。特に異常なし。でも2年くらいは検査を受けたほうが良いようで、もうしばらく経過観察が続く。検査のあとそのまま自転車にのって平岸プールへ。50mのコースで1000m泳ぐ。そんな日常と非日常が混ざりあう休日。

昨日は部下と職場近くの居酒屋で焼き鳥を死ぬほど食べてビールを浴びるほど飲みながら3時間話し込んだ。

彼は30代後半の管理職として、今のプロジェクトで一番なくてはならない重要な仕事を担当してくれている部下で、彼が担当していた前のプロジェクトが終わらないタイミングで無理やり引き抜いた。50人のプロジェクトメンバーがいる職場で私の隣に座って仕事をしてもらっている。厳しいプロジェクトが佳境を迎えつつある中で、仕事で行き詰っているところもあり、彼から「久しぶりに飲みに行きましょう」と声をかけてくれて二人で飲みに行った。

私が一月に倒れたことを本当に心配してくれていて、「心労が大きすぎるんじゃないですか?」と言われたけれど、私はそんな風に感じていないのでいまいちピンとこない。まあ鈍感なのだ。

「今の管理職の立場でもこれだけしんどいのに、まつろーさんの立場で仕事をしたら自分が正気を保てると思えません」と彼は言う。隣で見ている部下にそこまで言われると、自分がすでに正気を失っているのかもと、そんな気がしてくる。

客観的に見れば確かに半端な仕事ではないと思う。数百億の仕事を納期厳守でまとめていく責任者。トラブルは毎日のように発生し、人員は慢性的に不足し、予算も全く足りず、期日だけが迫ってくる。社内的にも厳しい視線とプレッシャーが向けられ、毎週のように役員が来ては進捗報告と今後の見通しについての説明を求められる。書いていてよくこんな仕事を同期と同じ給料でやっているなと思えてくる。

私は自分の職場は人が死なない戦場だと思っている。

それは敵と戦っているという意味ではない。自分が万全の準備をして、信頼できる部下が全力で職務を遂行し、100%のパフォーマンスを発揮できる環境が整ったと思った翌日には、予想外の事態が発生し、すべての計画がめちゃくちゃになり、一からやり直しになる。そして全身が徒労感に包まれて真夜中に家に帰ることになる。そしてその翌日には、また新しい一日が始まり、戦いの準備を始める、そんな日常だ。

自分が万全の準備をしていたのになんでこんなことになるんだ、などと愚痴を言っている時間はない。そんな姿を部下たちに見せるつもりもない。どんなに職場が混乱していても平然として今日一日、自分のベストを尽くす姿を見せたいといつも思っている。戦場において司令官が取り乱していたら部下がどう思うだろうか。どんな混乱の中でも平然として、今できることを考え続けている人間がいるとわかるだけで、職場の動揺は不思議とおさまっていく。

そしてもっと大切なことは、今いる部下たち全員が戦場で戦っているのだということを心の底から理解することだ。職場では何かあればすぐに「あいつはだめだ、なにもできない」「あの部門は話にならない」という雰囲気に包まれる。でも、ここにいる全員が今ここで、自分の人生という戦場の中で全力で戦っているのだ。

それは比喩でもなんでもない。そのことを理解できていない人が多すぎると私は思う。だから他人に厳しく当たったり、批判したり否定したりするのだろう。


そんな話をぐでんぐでんに酔っぱらいながら、一番信頼している部下と話し合い、彼は「よくわかりました」と言った。

彼が「わかった」と言えば、それはわかったということだ。


来週も信頼できる部下たちとの新しい一日が始まる。

そんな人生を送ることができて本当に幸せだと、私は心から思う。



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