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望郷太郎よ何処へ行く

山田芳裕。同郷の漫画家。雪国で冬の長い私のふるさとは、日本を代表する漫画家を多数輩出する漫画家大国だ。

私が好きだったデカスロンという漫画は1992年に週刊ヤングサンデーで連載が開始された。もう30年前だ。特に好きだった度胸星という火星を目指すSF漫画は2000年連載開始。宇宙兄弟どころではない壮大なスケールで始まった連載がコミックス4巻で打ち切りになったときの挫折感はいまでも鮮明に覚えている。めいっぱい広げた風呂敷と伏線がすべてそのままになったまま突然連載が打ち切られた。そのトラウマから、それ以降、山田芳裕の連載漫画は読んでいない。「ジャイアント」、「へうげもの」などの名作を生みだしているのは知っているけれど、どうしても読む気にならなかった。

そんな中で、最新連載「望郷太郎」。連載しているのは知っていたけれど、なかなか読む気にならなかった。

大寒波襲来、壊滅的打撃、世界初期化。人工冬眠から500年ぶりに目覚めた舞鶴太郎(まいづるたろう)は、愛する家族も財産も全て失った。絶望の淵から這い上がり、理想の暮らしと生きがいを求めて、祖国「日本」を目指す。ヒトと文明の歴史をさかのぼるグレートジャーニー。人類よ、これが未来だ。

amazonの紹介文より

紹介文を読んでもちょっと何言っているかわからない。
ちょっと何言っているかわからないけれど、読み始めて、最新刊の8巻までをあっという間に読み終わった。まだお話は序盤というところだけれど、なかなか面白い。

簡単に言えばタイムスリップものなのだけれど、過去に戻るのではなく500年後の未来に進む(コールドスリープで500年後に目覚める)。そこで一度ほぼ滅亡した後に石器時代から徐々に文明化しつつある人類がいる世界を500年前の大企業の御曹司が古代の(現代の)知恵を駆使して生き延びるサバイバル漫画(なのか?)。

本能に近い原始の人間の生々しさと現代の金銭や経済に支配された人類のいやらしさをオーバーラップさせながら、物語は展開するのだけれど、主人公(太郎)は500年前の経済に支配された人類の価値観を嫌悪しながらも、経済の仕組みを応用しながら生き延びようとする。それが経済的な成功を目指しているわけではなく、ただ生き延びるための手段だとしても、非常に皮肉な行為、行動のように私には思える。

経済活動や金銭に対する嫌悪を露わにしながらもそこから離れることができない主人公。結局はその価値観をうまく利用しているようでいて、結局はそこから離れられない弱い人間のようにも思える。

主人公と行動をともにしながらも対照的なキャラクターのパル。動物的な感覚が研ぎ澄まされ、においや気配で様々なことに感覚的に対処していく。彼を殺そうとして追いかけてきた追手を返り討ちにしたあと、パルは言う

「お前たちは生き物の力を失いすぎている」

富や貨幣が人生を狂わせるような価値観に翻弄される人間。思いやりの気持ちは嫉妬の感情でかき消され、他人より少しでも良いものを手に入れて、他人より少しでも良い生活をすることが成功だと信じてしまう私たちは、生き物としてとても大切なものを失ってしまっているのかもしれない。

物語はまだまだ序盤。これから主人公は未成熟な文明の中に自分が作り出した経済的な価値観とどのように折り合いをつけていくのだろうか。

経済の仕組みを古代の文明で応用して、のし上がって成功するという話では、あまりに寂しすぎる。

彼はふるさとを目指して旅をしているけれど、いったい彼はどこにむかってるのか、そのふるさとには何があるのか、楽しみで、恐ろしい。


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