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私のお金は誰のもの?

最近ネット募金をするようになった。以前パタゴニアの創始者であるイヴォン・シュイナードの本を読んでいて、パタゴニアでは売り上げの(利益ではない)1%を環境保護団体に寄付しているという話を読んで自分も収入の1%くらいはどこかに寄付したほうが良いような気が、なんとなくしたからだ。妻は以前から寄付とか、募金を良くしていて、妻は専業主婦でその原資は私のお金だからまあそれでいいかなと思っていたのだけれど、まあ少しは主体性を持って寄付とか募金とかを考えるのも、いい年になった人間としては必要かなと思い、色々見ながらおもに環境保全の取り組みの活動をしている団体に寄付とか募金をするようにしている。

募金とか寄付とかクラウドファンディングとかは世の中にあふれかえっているようで、近所のジェラート屋さんまで寄付をネットで募っていて、ジェラート屋さんは寄付する代わりに今度ジェラートでも買ってこようかなと思うけれど、一度寄付をすると、「こんな寄付もあります」とおすすめ動画のように次から次へと寄付団体の紹介が来る。

世界も日本も困っている人たちであふれかえっている。戦争、自然保護、虐待動物の保護、子供たちの貧困問題。そのおすすめを見ていると暗澹あんたんとした気持ちになり、そんな話からは一定の距離を置いて、酒でも飲みながらYoutubeのくだらない動画を見て、のん気に休日の午後を過ごしたいという気持ちになってくる。そして実際に酒を飲みながらくだらない動画をみて、困った人たちのことを忘れようとするのが、休日の私だ。私はその程度の人間でしかない。

まじめに全部の団体に寄付していたらすぐに私のお金が無くなってしまうと思うし、自分が気に入ったところ、共感する団体だけに寄付するのが本当に正しい寄付の形なのか、正直自信がない。

毎月少なからぬ(とてもたくさんの)所得税やら住民税やらを払っているのだから、その中で政府がうまくやってほしい気もするのだけれど、これだけ困っている人たちからの募金のお願いのメールが来るということは、その税金は困っている人たちには届かず、どこかで誰かが領収書が出ない経費として使っているのかもしれない。私のお金はどこに行ったのだろうか。



私は妻と二人暮らしで、妻はほとんどお金を使わない。家は築30年の賃貸マンション(29歳で札幌に来た時に借り上げ社宅として借りた部屋ににそのまま住みついている)だし、これから家を買うこともないだろう。車も所有したことがないし、テレビもない。これから買うつもりもない。子供もいないから子供を養育するためのお金もかからない。毎日必要な食べ物を買って、週末には二人で近くのカフェに朝食を食べに行く。そのくらいしかお金を使わない。

20代で今の会社に就職したころから、何でこんなにたくさんのお金がもらえるのかと不思議に思って生きている。使うお金ともらうお金の収支は就職した頃からずっとプラスで借金は一円もない。税金もなんでこんなに高いのかと思うけれど、それを払っても生きていくには十分のお金をもらっているし、厚生年金や国民年金も毎月払っているので、国が破綻しなければ、それなりの年金ももらえるだろう。多分今すぐ仕事をやめても、死ぬまでお金のことで困ることはないと思う。変な詐欺とかに引っかからない限りは。

妻は、「あなたが死んだら、あなたの貯金は全部寄付して働きます」と真顔で言う。30年近く一緒に生きていて、彼女がおそらく本当にそうするだろうという確信がある(そういう人なのだ)。だから、彼女に苦労をかけないためにも私は彼女より長生きする必要がある。それはほぼ唯一の、私の人生の目標でもある。

私がせっせと働いてためたお金。それは私が死んだらきっと世の中の困った人たちのために寄付されることになる。別にそれでいいと思う。でも、そもそもそのお金は誰のものなのかと、ふと思う。

きっとそれは、私が死ぬまでの間、暫定的に誰かから預かったものなのだろう。だからあまり無駄なことや地球を汚染することに使わないで、寄付されるときまで残しておくか、自分なりにささやかな寄付を続けていこうと思う。地球環境を汚す経済活動で稼いだお金で、さらに地球を汚染する消費をみんなで続けていたら、あっという間に地球はダメになってしまうだろう。もうとりかえしのつかないところまで来てしまっているのかもしれないけれど。

自分のものだから、自分の好きなように使っていい。そんなものは多分、世界のどこにもないのだろうと、私は思う。

少なくとも世界の全ての人たちがきれいで平和な地球で、安心して暮らせるようになるまでは。


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