私が「タイタニック」を絶対見ない理由。
映画タイタニック。1997年公開だからもう25年も前の映画だ。実写映画として今も日本の興行成績№1の映画。公開当時私は大学2年生。当時は暇に任せて、ありとあらゆる映画をむさぼるように見ていた。
でも、タイタニックだけは見ていないし、これからも見ることは無い。
ど田舎の日本海側の町から札幌に大学進学して2年がたっていたけれど、私はまだ、地元にいた幼馴染の女の子に恋していた。
彼女は小学校からの同級生。中学校も高校も同じで、小学校高学年から高校2年生の時まで、同じクラスだった。
田舎の学校で男女がろくに口も利かないような環境だったからほとんど話をすることもなかった。
いつも気になっていたけれど、全くアプローチすることもなく高校を卒業してしまった。彼女は高校の頃にイギリスに短期留学して戻ってきてから高校を中退して大検を受けて地元の国立大学に進学していた。
そんな彼女が大学になってからも気になっていて大学2年の夏に帰省したタイミングで彼女をタイタニックの映画を見に行こうと誘った。
当時は携帯も持っていなかったので、近くの公民館の公衆電話の電話ボックスから彼女の自宅に直電。お姉さんが電話に出た気がするけれど、無事自宅にいた彼女につながった。
当時彼女は私の同級生と付き合っていたようで、映画の誘いはあっさり断られ、私の人生からタイタニックを見る可能性はそこで無くなった。
まあ、それは仕方がないとあきらめつつ、夏休みで地元に戻ってきているので一緒に飲みに行こうと誘って、彼女の友達2人(どちらも私とも知り合いのクラスメートだ)を誘って4人で飲みに行くことになった。今の時代とは違う。電話ボックスから両親がいる自宅に電話している時代、ど田舎モノの私にとってはすべての勇気を振り絞っての誘いだった。
田舎の居酒屋で飲んでから4人でカラオケに行ってそれで解散。
30歳まで二人とも独身だったら結婚しよーよなんて冗談を言いながら、そんなに夢中だったのに、彼女に会ったのはその日が最後であれからもう25年近く、会っていない。
その夜は土砂降りで、カラオケの後で彼女が家の近くまで傘をさして私を送ってくれた。
中国では、タイタニック号が沈没するシーンは映画館で大爆笑になるらしいという噂があったので、大学の同じゼミの留学生の女の子に真偽のほどを聞いてみた。
「そんなはずないジャン。でも私もちょっとだけ笑っちゃったケドね」
と彼女は言った。
そんな、ちょっとだけ笑っちゃうような、
青臭いタイタニックの思い出のお話。
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