まわりの評価を気にしすぎる人たち
プロジェクトも最盛期。どんなプロジェクトも後半に山場があってだんだん収束していくのだけれど、今回は山場の山が高くてピークが長く続いている。要するにしんどい。
人がどうしても足りずに社内や外部からの人員増強で何とか乗り切ろうと考えているけれど、オフィスも足りなくなり、別フロアをさらに借りて来月から執務スペースを増やす。自分で席のレイアウトを検討してオフィス什器業者と打ち合わせして発注。そんなことをしていると暇だと思われそうだけれど、誰かにたのめば「この忙しいのに、余計な仕事を」と不平が出るし、そのレイアウトでいいかどうかを誰かが判断しなければいけないので、最終判断者の私が自分で決めてしまうのが一番早くてストレスも負荷も少ない。メンバーには本当にやってほしい仕事に集中してほしいので、そういう余計な業務は自分でやってしまうのが私のやり方だ。それがいいかどうかは別として。
従業員が50人を超えると色々と法的な義務が増える。余計な業務が増えるので、できれば50人以内でやりくりしたかったのだけれどそうもいっていられなくなった。産業医を選任したり、職場環境を整備したり、衛生や安全を管理する責任者を配置したり、色々あるのだけれどそれも職場のメンバーには負荷になるので、自分で責任者の資格取得のための講習をうけて責任者になって毎月の委員会を開催したりとまあめんどくさい。そんなことをやっても誰も評価してくれないような仕事。誰もやりたがらない仕事。それに意義を見出してメンバーを説得してやってもらうのがマネジメントだという意見もあるかもしれないけれど、私はそうは思わない。その仕事をやってもプロジェクトの成果に直接関係ないのであれば、やはりそれは余計な仕事なのだ。余計な仕事は増やしたくないけれど、どうしてもやらなければいけないなら、自分でやってしまう。それをやっても誰も評価してくれるわけではないし、そもそも私がそんな仕事をやっているなんてほとんど誰も知らないとおもうけれど、別に私は自分の仕事ぶりを評価してもらいたくて仕事をしているわけではない。プロジェクト全体がうまくいって、それでメンバーがやりがいをもって充実した仕事ができるなら、それでいい。
私は基本的に他人の評価を気にしないで生きている。なぜそうなのか私にはわからないけれど、なぜか気にならないのだ。人間としての基本的な感性が欠落しているような気もする。周りを見ていると他人の評価を気にしている人ばかりで、そんな生き方は本当に大変だろうなと思うけれど、なぜ彼らがそんなに周りの評価を気にするのかが本当にわからないのだ。見ていると高い評価を受けて出世したいというわけでもなさそうで、ただ他人から低い評価を受けたくたくないという本能的なものに振り回されているように見える。
マズローのいう承認欲求。SNSで周りの同世代の声が増幅されて聞こえる世界に生きる彼らは、その人間の基本的欲求(つまり本能)が制御できず、自分の評価を維持したいという欲求が暴走しているのだろうか。
経験上、承認欲求が強い人は、自己評価が高い。少なくとも私が第三者的に考える以上に自分に実力があると考えていて、自分が評価されない理由を外部的な要因に結び付け、「だから私は自分の実力以下の評価しか受けていない」と考えているようだ。自己評価が低ければ、周りからそれほど評価をうけなくても「まあそんなもんだろ」と気楽に生きられる気もするのだけれど、それはまた自己肯定感の低下やメンタル的な不調につながるのかもしれないし、なかなか難しい話だ。
ちなみに私は、自己評価をしない。自分の評価を自分でできるほど客観的な評価能力がないし、自分で自分を評価して、周りの評価とのギャップに悩むくらいなら最初から自己評価なんてしなければいいと思うのだけれど、それは私が短絡的すぎるのだろうか。
自分で自分のことを評価などせず、他人の評価も気にしない。要するに好き勝手に生きているということだ。
自分の人生なのだから好きに生きればいいと私は思うのだけれど、時に理不尽で、ままならないのも人生だ。そのはざまで苦しみや喜びを感じながら私たちは生きていくのだろう。
きっと、人生の苦しみや喜びの理由のうち、「まわりの評価」の割合を少し下げるだけで、生きるのはずっと楽になると私は思う。
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