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みんながやさしくなれる世界で暮らしたい

札幌も本格的に春になってきた。
今日の最高気温は22℃。ロードバイクで外を走っていても気持ちがいい。つい2週間前まで最低気温がマイナスで道路が凍っていたのに、一気に暖かくなって、それはそれで少し心配だけれど。今年の夏も暑くなるのだろうか。去年は異常な暑さで、我が家もついに今年エアコンを導入する予定だ。18歳で本州から進学した30年程前は、札幌でクーラーが必要なんて想像もつかなかったし、誰の家にもクーラーなんてなかったと思う。真夏でも窓を開けていたら夜は寒いくらいの気候だったのだ。

土曜日は脳波の検査を受けて来た。今年の1月に職場の近くで真冬の雪のふる中、突然気を失って倒れ救急搬送された。後遺症は全くないのだけれど原因もわからず経過観察が必要ということで定期的に検査を受けている。結果は異常なし。次は7月に検査を受ける。

次いつそんな風に意識を失って倒れるかと心配だけれど、心配していたら何もできないのでいつも通りの生活をしている。25歳でがんになってそれからずっと、再発の恐怖を感じながら生きてきて、そんな「あいまいでぼんやりとした不安をかかえた人生」を生きるのはベテランの域だ。あまり気にしないのが一番で、超楽観的な私の性格にはとてもあっている生き方だ。

ということで普通に生活も運動も続けている。今週も150kmをロードバイクで走り、3000mプールで泳いだ。ロードバイクに乗っているときに意識を失ったらただじゃすまないし、道端で倒れた私をひき殺してしまったらドライバーにも申し訳ない。プールで意識を失えばそのままおぼれて運が良ければレスキューされるだろうけれど、運が悪ければそのままおぼれ死ぬだろう。プールの運営者としてはそんな人に泳ぎに来てもらいたくないだろうと思う。それでも私はいつものように生活を続ける。迷惑を掛けたらごめんなさいと思いながら、それでも私はこれまでの生活を続けたいと思う。できれば他人に迷惑を掛けたくはないけれど、だからと言って家の中に引きこもっているわけにもいかない。

生きていれば、他人に迷惑をかけるかもしれないし、人を傷つけるかもしれないし、自分が傷つくかもしれない。私はそれが少し具体的な形になって見えているから意識できるけれど、それは本当は私だけでなくて、誰もが同じなのだろう。誰かに迷惑をかけ、誰かを傷つけ、自分が傷つくかもしれないという可能性を引き受けながら、誰もが生きていく。その可能性を引き受けられなければ社会の中で生きていく事などできない。

その可能性に鈍感な人が多いから、誰かに迷惑をかけた人や人を傷つけてしまった人に対して過剰な程に厳しい非難や否定が巻き起こるのだろうか。

自分が他人に迷惑をかけるかもしれないという可能性を受け入れるだけで、人はずっと人に優しくなれると私は思うのだけれど、それはそんなに難しいことなのだろうか。

みんなが人にやさしくなれる世界で暮らしたいと私は思う。


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