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20230610時の記念日

 6月10日!時の記念日!

 本日は、この祭心理学NOTEで何度も言及させていただいている共同研究をしてくださっている先輩と、その共通の師匠が集まる研究会に参加しに京都に行ってきました。
 予定では、完璧な研究発表をして師匠に安心していただき、その後鴨川が見下ろせるオサレなバーでおいしいウィスキーをゆっくり転がしながら意識の高い会話を楽しんで帰宅する予定でした。
 しかし現実は…一応作成したレジュメを印刷しようとしたら自宅の古いプリンタではWindows11に対応していなかったので持参できず、自宅近くの行列のできるおいしいおかきやさんのお土産を小分けで買おうとしたら大きいのしか買えず、先生が期待してふってくださった祭関係のネタにはねじれの位置的な回答しかできず、一見共同研究のように見える論文もすべて先輩が書いて自分が書かねばならない第2弾が全然進んでいないことだけ露呈し、自分も少しは研究しているところを示そうと思って急造した大会発表論文集の原稿を配るものの討ち死にし、いろいろと話が長くなったこともあったので夕ご飯をご一緒しただけで帰宅せねばならず、帰りの電車の中でこの祭心理学NOTEを更新しようとしたのに土曜の夜の車内は混雑していて立っていたので書けず、ようやく帰宅してここまで書いて22:30になってしまいました。
 ということでせっかくの時の記念日ですが悠久の時の流れに思いをはせることはできず、急な流れになんとか追いつこうとバタバタするしかない一日になってしまいました。
 きっとわが師匠も、『俺の研究テーマ、優秀な先輩たちの方が継いでくれたら今頃いい結果が出ていて安心できたのに…なぜこうもできないお前が継いだ感じになってしまったのか…。』と今頃涙で枕をぬらされていると思い反省しきりなのですが、まあでも師匠でも完遂できなかったテーマをそれより劣る私が頑張っても無理なのはまた自明なのですよねえと。そういう意味では、「自分がなんとか継ぐ」ということはもうあまり考えずに、けれども「師匠のテーマを継いでいるような研究が現れた時にはそれを見落とさずに師匠に報告できるようにする。」のを怠らないようにしたいなあとも思います。
 この辺を今日学んだ内容から考えると、「親-子-孫」という三世代でのジェネラティビティが想定されていた某モデル図で、自分は「親-子」という図式で師匠の研究テーマの継承ができたらと思っていましたが、そこに「孫」という視点がでてくることで、自分だけではできない継承の可能性を高めようとしているのかもしれないなあと思います。「その場合、お前の弟子じゃないと孫とは言えないのでは?」と言われそうですが、漠然とした「次の世代」へ祈りたくなる気持ちはジェネラティビティの発露に思えるのですが違うのかなあと。「停滞」の感覚ではないかと突っ込まれそうですがそれはまた違うよなあと。
 すみません今日の内容は完全なメモ書きでかつ私信的ですが何卒お許しください。

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