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〇20230704 石村萬盛堂博多夜ばなし第7回『博多の夏博多祇園山笠』最終話

知識10 静岡の聖一国師の水
 
 これはどういう文脈で出て来たか忘れましたが,静岡に聖一国師の生家があり,そこで汲んだ水を博多まで持ってきてまくことが紹介されていました。
 静岡の話だてチューニチ新聞の紹介記事へのリンクを貼るがね。
 https://www.chunichi.co.jp/article/36904

 紹介記事の内容を箇条書きで要約すると以下のような感じでしょうか。

聖一国師の生家:静岡市葵区大川地区にある国師の生家の米沢家
活動団体:聖一国師顕彰会
活動のきっかけ:静岡空港の福岡線就航より
活動内容:生家で汲んだ水を福岡に運び,承天寺で勢水としてまく
 
質疑応答4 廻り止めの由来について

 フロアの限界中年男性より「廻り止めといえば石村萬盛堂という感じですが,なぜここが廻り止めの場所になっているのか?」という要領を得ない質問がなされましたが,これについては石村萬盛堂の社長さんが答えてくださりました。
 もともとの廻り止めはお店より少し離れた昭和通りの真ん中あたりにあったけれども,道路を新しくする時にセットバック的に内側にズレたのでこの位置になったというようなことを説明してくださりました。
 まあでも,もともとの場所に廻り止めがあった理由自体は不明のままですが,追い山とルートから考えてみると
①古くからの恵比須,東,西,土居,大黒の5流すべてを回ることが求められている
②櫛田神社,東長寺,承天寺を回るのは欠かせない
③海と岡を結ぶ「南北」の動きが重視されている
④海と岡を十分に往来してから,古くからの5つの流を回りつくす
 
といった感じで廻り止めの場所が決まったのかなあと思います。
基本的には「海からの風」を博多の街に巡らせるのが主目的であり,そして古くからの5つの流には全部まわっておきたいという要求に最後に答えるからあの場所が廻り止めになるのかなあと。
 
質疑応答5 山笠の鎮めについて
 
 これについては最初の質問を聞き取れなかったので不確かですが,追い山で各流の舁き山が櫛田神社を出てからどうなるのか?その時の神様はどこにいらっしゃるのか?という質問だったと思います。
 それに対して高山権禰宜が「鎮めの能というのがあって,八番山が櫛田入りを終えた後で行われる」というのをまず説明されました。
 それに対して能に詳しいフロアの方が重ねて質問をされて,その質問が専門的過ぎて私には理解できずメモもできておりません。喜多流が担当とか能の内容などについて対話がすすんでいたようでしたが理解できませんでした。
 その後,再び最初に質問された人が再び質問されたような記憶もあって,それに対して私は「舁き山は廻り止めまで舁き終えたらその後はすぐ各流にもどり,そこで神様のよりどころとしての御幣が外された後は,山笠は神様ではなくなり,西流などは今でも「山解き」として山笠を崩して崩されたものを各々が持って帰るし,他の流では人形を取り外して保管して,山台はその朝のうちに解体されて櫛田神社に戻ってくるよな~とか思ったりしていました。


 ここでメモ用紙の空きスペースが物理的になくなり,また私のメモする気力も燃え尽きたので,もうしばらく質疑応答は続いた気もしますがその内容は記憶にありません。
 
 祭もいつまでも続いてほしいですが終わりがあってこそ祭であるように,博多夜ばなしも終わらないと朝が来ないので名残惜しいですがここで終わり,石村萬盛堂が新たに開発された「祝うてサンド」と「仙厓もなか」とお茶をいただいて会場を後にしました。

 山笠期間はいろいろ抜けられない仕事があって博多に行けない分,こうして夢のような時間を過ごす機会をいただけた高山権禰宜さんと石村萬盛堂さんにあふれんばかりの感謝を表してこの一連のNOTEを終えさせていただきます。


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