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20230601 残る研究 残らない研究

 今日は予想されている大雨に備えて早めに帰宅したため自宅で書いております。そのため論文は読めないので祭に関係のない研究の感想を書かせていただきます。
 この祭心理学NOTEはCiNiiで祭をキーワードにして検索して出てきたものを読んでいます。先日「建築学会の雑誌に魅力的なものがいっぱい載っているのに会員限定だから読めなくて残念!」と書きましたが、建築学会以外にも査読誌で読めない論文は結構あります。その場合、「どうしても読みたい!必要!」と思えば文献複写を依頼しますが、心理学だと「これは読まないといけないよな」というのがそれなりにわかりますが、祭に関する様々な心理学以外の文献の場合「査読誌だから読まないといけない」かどうかの判断がいまいちつかず、「似たような研究が紀要であってそれを読んだからこの論文は読めなくてよいか。」と思って文献複写するのをやめることが結構多いです。
 そして、たまに「大学の図書館に紙の雑誌は所蔵されているからコピーしに行けば読める」論文もあったりしますが、図書館まで出向くのが面倒で発見してから3日経ちましたがまだコピーしに行くことができておりません。
こんな感じで、「その場でpdfで入手できない研究」をわざわざ読もうというモチベーションが非常に低下しているなあというのを実感しています。
 むしろ会員のみが読める有料の論文よりかは、本の方が「絶版になったら手に入らなくなるから。」と思って買おうとするモチベーションが高まるし、ネットで注文すれば届くので本を買うのはあまりためらわないのですが、やはり本に目を通すためにはかなりゆっくりできる時間がないと無理なので、本は積みあがる一方で読むことにつながりません。
 ここまでをまとめると、研究の入手可能性に関していえば、JSTAGEなどで無料公開している査読誌や紀要などが圧倒的に有利で、会員限定の査読誌や書籍などは手に取られることが少なく、それは結局残っていかないのではと思っています。

 ここまでは「研究を記録した実物の入手可能性、残る可能性」について書きましたが、「書かれた内容が残るかどうか」に関していえば、もう一つ別の視点になると思います。
 基本的に論文の場合、ほとんどがpdf化され、そこに書かれている内容のテキストデータなども公開されて「検索の対象」や「AIの学習対象」になっていると思います。しかし、書籍の場合、最近はデジタルのみで紙で印刷しない本も増えましたが、今でもかなりのかずが「紙のみでの印刷でデジタル化はされていない」のだと思います。そのため、紙で出版した本の内容は検索結果にも出てこず、AIの学習対象にもならないため、「ネットという知識の大海や宇宙という総体」の中に、本の中に書かれた内容は入ることがないということになります。これは結局「巨人の一部になれない」ことであり、何かすごく無駄というかもったいないと思うのですがどうなのですかね。
 
 共同研究をしてくださっている先輩と先日話をしていて「君は研究の業績全然ないけど、この祭心理学のNOTEとかブログとかの文章はいっぱい書いているよね。」と言われて、日々の活動を業績に結びつけられていない自分のふがいなさを反省したことがありました。でも、こんな感じで研究業績にはならないけれども、研究の関心をもって雑文をNOTEにあげてネットの大海に溶かし込んでいると、それは何らかの形で祭心理学研究の波が起きた場合にその一部になりうるのかもしれないなあ…そんな感じで残るかもしれないなあ…などと思ったりもしています。
 まあでも研究を残すためには「無料で見られる査読誌」に乗せるのが一番であることに変わりはないので、なんとか頑張りたいなあと。

・・・・・・・・・。

 って、ここまで書いて「この内容は以前にも書いた!」と気づきました。それこそこの祭心理学NOTEを書き始めた時にこのような意識で書き始めるぞ!と宣言をしたような記憶がよみがえってきました。んでももう今から書き直したり新たなもの書いたりする気力はゼロなのでこの内容でアップさせていただきます。

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