20240815 査読の発達段階 ~査読と敵意と正義
※最初のこのNOTEは「査読と敵意と正義」というタイトルで書きだしたのですが,論文査読に発達段階が想定できるなと思って発達段階的な視点で書き始めると発達段階的な枠組みでしか論をすすめることができなくなり,査読と敵意と正義の関係について論を絞って書くことができなくなってしまいました。
まあでも結構この査読の発達段階については同意してくださる人も多いのではと思たりしたのでそのまま掲載させていただきます。
論文の査読に関して発達段階を設定すると
Ⅰ 査読を受けて泣かされる時期
Ⅱ 査読を担当し始めて壊す査読をする時期
Ⅲ 査読経験が増え育てる査読ができる時期
Ⅳ 編集委員を体験し公平公益な査読を考える時期
Ⅴ 学会役員になり査読システム自体を変えようとする時期
とかになるのかなあと思います。
Ⅰ 査読を受けて泣かされる時期
Ⅰの時期はもうただ苦しくてつらいですが同輩や先輩後輩指導教員や他の先生方のアドバイスや助けなどを得て頑張るしかないので記述は割愛させていただきます。
Ⅱ 査読を担当し始めて壊す査読をする時期
このⅡの時期についてはラジオ先生も同じような内容をつぶやかれていたと思いますが,若手の研究者の場合,最新の知識や技術を有しているため投稿された論文のダメなところが見えやすく,自分が有能で正しい知識を持っていることを誇示したくなる欲求などもあってダメ出し連発の査読をすることが多いと思います。
確かにダメな点がある論文が載ることは科学的にどうかとおもうのでこうした厳しい査読を否定する気はありませんが,なんかこう,「間違ったところを直すのは科学者としての正義」という錦の御旗のもとに自分の攻撃性をフルオープンしている人も多いのではと思ったりします。
Ⅲ 査読経験が増え育てる査読ができる時期
学会によって異なると思いますが多くの学会で査読を頼まれだす時期というのは博論出して就職して指導教員の庇護から離れて研究者として独り立ちするころなのではと思います。
指導教員という足かせや就職できるかの不安から離れてここからさらにおおきく飛躍する研究者も多いですが「もう就職するためのキャッチ―なテーマから離れて自分の本当にしたかった研究ができる!」と思って不慣れなテーマに取り組みだしたり,「研究と違って学生指導は打てばそのまま響くから楽しい!」ということで研究以外の活動にリソースを割くことによって「予期せぬリジェクト」を食らうことが多くなる時期だと思います。
そのリジェクト論文へのコメントを見て「こんなきついことを書かなくてもよいのに」と思ったり,院生時代の自分の研究がいかにいろんな人に守られ底上げされ赦されてきていたものであることに気づいたりして,自分もそんな感じで学会のより若手を育てていく立場にならねば,という視点を持てるようになるのではと思います。
Ⅳ 編集委員を体験し公平公益な査読を考える時期
おそらく編集委員となると,複数の査読者の査読結果の乖離に遭遇することが増えると思います。複数の査読者が共通してリジェクトを主張している場合は正義の刃を振り落とすことにためらいはありませんが,その乖離が両極端の場合などは思わず査読者の方を断罪したくなることも多いのではと思います。
ここで,編集委員として実際に強権を発動して自分の納得のいく審査結果に導く権限を与えられている場合もあるのでしょうが,そこまでする精神力を出せることは少なく,結局悪い結果を出している委員の判断を尊重することの方が多いのではと思います。
また,そのような体験で精神をすり減らすことが多いため「審査結果が分かれたときに自動的に判断が下されるシステム」の構築などにモチベーションが咲かれることも増えるのだろうと思います。
Ⅴ 学会役員になり査読システム自体を変えようとする時期
研究面はいまいちどころかいまさんくらいの私なので今後編集委員長などの役職につくことは考えられませんが,編集委員長などになられた人でこれまでの査読システムに疑問や不満が蓄積されている場合,そのシステムにメスを入れることができるのも確かだと思います。
しかし,編集委員や編集委員長になる人は,その所属学会の既存の査読システムに適応してそこで結果を出してきたからこそ編集委員などに選ばれているわけであり,ある意味「自分に適したシステム」を変化させるためのモチベーションを持つための圧は少ないように思えます。
そのため,「誰がみてもあきらかにおかしいシステム」や「時代の変化についていってないのが明確なシステム」以外でセンセーショナルな査読システムの変化が起きるときは,かなり明確な意思を持った人や結構な異端児が編集委員長になった時なのではと思います。自浄作用を持つ学会だと編集委員長がものすごい長寿政権を維持していたりすることはないと思いますので,編集委員長経験は短く編集委員長としては若手であるため,Ⅱの段階で若手の査読者がきつい判定を下してしまうメカニズムと同じように,若手の編集委員長が正義の名のもとにきつい査読システムの変更を行ってしまう可能性は結構あるように思えます。
そういう意味では,ドラマティックな査読システム変容が起こった場合などは特にそのシステム変容を編集委員会だけでなく会員全体の視点で見直す機会を頻繁に持つことが多いのではと思います。
いつもこのNOTEは【書誌情報】をあげておりますが,今日は書誌情報をあげるとその学会について書いているかのように思われたりする危険性もあるので本日は書誌情報なしであげさせていただきます。
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