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20221130 それぞれの神輿,それぞれの山笠,それぞれの舁き方

 中西 仁先生による『末廣神輿考-祝祭型神輿舁きの成立-』というタイトルの論文を見つけた時,最初は「お神輿の担ぎ方に関する論文か~」とくらいしか思わずにいたのですが,読んでみると自分の知りたいことが盛りだくさんですごく勉強になりました。やはり論文はタイトルだけで決めずに少なくとも要約には目を通して「何が書かれているか」をある程度知ってから読む読まないを決めないと損だな~と。まあ,一番いいのは「全部読む」なのでしょうが,論文読むのが遅い私にとってそれは無理な相談なので。・゜・(つД`)・゜・。
 
中西 仁 2021 末廣神輿考 -祝祭型神輿舁きの成立-. 佛教大学大学院紀要(文学研究科篇), 49, 45 – 61.

  まず,膝を打ったのは冒頭の以下の文章でした。

近代の京都で神輿舁きを担った人々は、多くが中下層の農民か都市下層の肉体労働者が中心であったので、神輿舁達は文字による記録をほとんど残してこなかった。ここに神輿舁き集団及び神輿舁達についての歴史研究の困難がある。

 おそらくですが舁き手の階層にはあまり関係なくほとんどの祭で神輿の舁き方について詳細に文章化されていることは少なく,そのほとんどはOJTというか実際に祭に参加して熟達者から体験の中で教わるのだと思います。なんとなくですが,そうしたものを文章化しないとと皆が一斉に思ったのが新型コロナによる祭の中断であったと思うので,この機会に文章化されることが増えていたならそれによる研究も進むのではないかと期待しております。 

 文章で残っていない舁き方に挑むため,筆者は、新聞記事の精査、聞き取り調査、参与観察、フィールドワークをもとにこの論文を書かれていて,もう年を取って神輿の舁き手になれない自分にはできない研究をしてくれているのもありがたかったです。

  いろいろな内容が詰め込まれていますが,特に私が面白いなと思ったのが「御霊祭の末廣神輿は京都の標準的なルールとは違って,芸能的,祝祭的な「楽しくみせる」担ぎ方であるらしく,「なぜそのような差異が生まれたのか?」について解き明かしていくところでした。 その理由として,神輿舁き集団の来歴、神輿舁達の意識、神輿舁き集団を取り巻く地域の歴史、神社の祭祀や祭礼の在り方の変化、祭礼が地域に与える影響などを包括的に検討されているのですが,私が特に面白いなと思ったのが,以下の記述でした。

  

 「えらいやっちゃ」の掛け声をかけながら神輿を舁く所作は、末廣の神輿舁たちが御霊祭の新規参入に際して、自らの地域の生業や文化の中から独自に始めた舁き方であり、御霊祭に新規参入した地域共同体の大きな喜びを表している。その感情は御霊祭のたびに再確認されてきた。であるならば、他の神輿の舁き方を真似ようとはしなかったのは当然である。京都の神輿場では頻繁に舁き手が交替しながら神輿を舁くのが一般的だが、末廣神輿では交替を強く拒否する舁き手がおり、舁き手の神輿にたいする強い思いが窺える。祭礼がそれを担う地域に排他的な地域アイデンティティを形成し、毎年の祭礼に於いてそのアイデンティティが再確認され、さらに強化される例は枚挙に暇が無いが、末廣神輿の神輿舁き集団が「京都標準」の舁き方に対抗してユニークな舁き方をかたくなに守るのは、まさにその好例であるといえよう。

 このあたりの記述を読んでいて,ふと博多祇園山笠に新しく参加することになった千代流や中洲流などが,自らの流についてどのような地域アイデンティティを固めていき,流の独自性を生み出していったのか等についてを検討できるのではないかなあと思い始めました。 このあたり,「ハカタウツシ」の心理では「博多と一緒であること」を求める心理もありつつ,同じ博多祇園山笠の流の中では「他の流とは違う独自性」を求める心理などもみられるのかもな~などとも。

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