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20231014 神戸市民の祭イメージは独特?

 今日は結局灘のけんか祭をみにいくことはできず大学に一日おりました。・゜・(つД`)・゜・。
 
 まあでも,昨日今日と色々と考えて「京都や播州の祭に浮気せずに神戸の祭にターゲットを据える方が良いはず」という思いも出てきたので,今日は神戸の祭についてちょっと考えてみたいと思います。
 このNOTEですでに何度も書いてきましたが,もう一度私が祭を研究したくなってきたプロセスを書き直してみたいと思います。

大学生まで:新興住宅地で育ったので伝統的な祭に触れないまま育つ。花火大会は好きだけれども神戸まつりには関心がなく見に行ったことは皆無
 
大学院修士課程:恩師が「子どもの祭」に関心が強く,その流れで祭に興味を持ったりしたり恩師主導の祭研究に少し参加させていただいたりしていたがあくまで外発的なものであった
 
大学院博士課程~最初の就職時代:基本的に祭に関心はないまま
 
福岡時代:博多祇園山笠と出会い祭に興味を持ち内発的に調べるうちに「見る山のぼせ」状態になりのめり込むことで,研究の対象も祭になってきた
 
そして神戸時代:山笠というのぼせの対象から距離的に離れたため,他にのめりこめる祭を探しているがきめきれず,具体的な「祭」ではなく全般的な「祭」研究を目指すように。修士時代の恩師と某先輩などとの研究会にも再び参加させていただくようになり,祭研究への期待がより高まっている…

 と,ここまで振り返って,これまであまり思ったことがなかったけれども根本的な疑問が湧いてきました。
 
 どうして恩師は神戸の祭に関心をお持ちでなかったのだろう?
 
 答えとしては「恩師は京都で生まれ育たれたから」ですが,お住まいも神戸市の隣の市でおそらく人生で一番長い時間を過ごされたのは神戸市であるはずの恩師が神戸の祭について語られた記憶はありません。
 私も神戸に生まれてその後隣の市に引っ越して高校まで育ちましたが,上述したように神戸まつりとルミナリエ以外に神戸の祭の印象はなく,灘のけんか祭の方が印象が強かった記憶があります。
 そして現在神戸に住みだして2年近くになりますが,神戸市民が祭について熱く語るイメージは全然なく,町の広告やネットの情報などでも祭についてとりあげられることが少ないなあと思っています。
 姫路周辺の人たちが灘のけんか祭などの播州の秋祭を誇りに思われているのは感じていますが,そのような感じを神戸ではあまり感じないのはなぜなのかなあと。
 
 地域の祭に関心が高く誇りに思ったりするのは地域アイデンティティのよりどころとして祭を使用していると考えれば神戸市民は祭以外に多数よりどころがあるから祭に対して思い入れがないというのはあるような気がします。
 このあたり,もう向こうは相手にしてくれていなさそうですが,神戸市民は今でもライバルと思っているであろう横浜市も伝統的な祭がおそらく存在していないので,「港町では伝統的な祭ができにくい」というのはあるのかもしれません。
 
 こんな感じでいろいろとかんがえてみても,なんとなくですが「神戸市民の祭イメージは意外と特徴ありそうで,基本的に他の地域よりも祭への希求が低めでありそう」という印象が残ったままなので,これについても継続的に考えていきたいなあと。

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