今日も今日とて祭に関する文献を探していると…『祭礼の笑い』というダイレクトに祭心理学に関連しそうなタイトルの論文をみつけたのでさっそく読んでみることに。
浦 和男 2015 祭礼の笑い. 笑い学研究, 22, 5 – 18.
論文のタイトルが短く抽象度が高い場合,その内容は包括的で内容が盛りだくさんになりがちですが,この論文もその通りで,『古事記』や『日本書紀』などから笑いの歴史を紐解き,日本全国から笑いが存在する祭を収集してそれを分類するという非常に有意義な情報が盛りだくさんで私が容易にまとめることができません。そのため,論文で挙げられた民俗行事の類型と代表例を挙げるにとどめ,詳しい内容は論文本文を読んでいただきたいと思います。
こちらの具体例は論文中に多数存在し論考も豊富なので各自でご確認ください。
どれも非常に見てみたい祭りばかりでしたのでまた実際に紹介されていた祭をみることで色々と考えてみたいなあと。
最後に,論文の内容そのものとは関係がないですが,読んでいて興味深かったのが,「注の箇所で査読者へのコメントが自由にフランクになされている。」ことでした。心理学でも,査読者からの指摘に対する反論などが注釈に書かれることもありますが,それらは「超えるべき関門」と「その壁をいかに論理的に乗り越えたり叩き壊したか」が重苦しい感じで書かれることが多い気がします。そのため,注が多い論文は「苦労されたのだろうなあ…」という感じで気の毒さが先に来る気がします。
しかしこの論文での査読者へのコメントはそのような感じではなく,査読者と筆者が対等で,査読者のコメントに従うかどうかが掲載の可否に直結するというよりかは,新たな議論の提示がなされるような働きがメインのような気がしました。このあたり,いろんな学会での査読の雰囲気などを比較してみたいなあとは昔から思っておりますがなかなか難しいのだろうなあとは思います。