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よんだもの/みたもの

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日々の生活と よんだもの/みたもの たち
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記事一覧

宝宝『おい!サイコーに愛なんだが涙』をみる

 物語への所在なさ。そして、自分のことを「物語」ひいては「作品」という枠におしこめて語ることの不可能さについて考えていた。  作品は、ムサビ(ムササビ美術学校)の卒業制作である、という設定で進められた。主人公の唯野の部屋が再現されたという舞台の中で、彼の中学時代から現在までの人生が、一人芝居によって回想される。  作中では、唯野が「ハチミツとクローバー」が好きであると繰り返し語られる。また、唯野の高校時代の友人たちの恋愛模様は、ハチクロの単行本を人に見立てて演じられる。そ

とける/とかす

 珈琲を仕事として淹れるようになって、数ヶ月が経った。いまではひとりで店に立つことも多い。  並べられた数種類の豆。味わいのいくつかを、説明してはひとつ、選んでもらう。いくら言葉で表しても、そのとき共有できる部分はすくない。ある程度の指標や記号は、同じ世界にいるひとにはよく伝わるものだろう。しかし、口もとも鼻の形も知らないはじめて会った目の前のひとに、のぞむものを渡せるだろうか。  少しの温度の差、抽出の方法で簡単に味わいは変化してしまうようだった。カウンターを隔てたこちら

『no plan in duty』─ ここにいて、たたずむ

「no plan in duty」は、2015年に初演された「非劇」を原作とした展示パフォーマンスである。2022年5月12日から23日まで開催された。作は齋藤恵汰、補綴は岸井大輔、構成・演出は篠田千明。3人のパフォーマー(荒木知佳、矢野昌幸、稲継美保)と3人の展示アーティスト(いしいこうた、うしお鶏、大和田俊)による。会場は補綴・岸井が主催するPARAであり、本公演は拠点クロージング前の最終公演であった。  PARAは、一軒の古い民家である。砂利が敷かれた庭があり、そこ

久坂葉子『愛撫』とパフォーマンスの皮肉

 久坂葉子は小説、詩、戯曲など数多くの作品を残した作家である。1931年神戸市生まれ。19歳の若さで芥川賞候補。そして21歳の大晦日、特急電車に飛び込み自らの命を絶った。  彼女が自殺する直前に書き上げた作品『幾度目かの最期』では、小説としてではなく、久坂の心情がありのままに描かれている。幾人かの男性の間で揺らぎつつ、相手の感情を取りこぼすまいと思案する姿。自分の愛をどこに所在させるか悩み、自らを「みにくい女」だともこぼしてしまう。  恋によって死を選ぶこと。  たったそ

20歳の国『ホテル』より「マジック」おぼえがき

 ひだりくすりゆびへの羨望、について考えている。結婚がどう、とかじゃなく、彼らはみんな確かなものを抱いているようにみえて。名前がさほど意味をなさないことなんか分かってはいるのに、すがりついてしまう。  ホテルの一室を模した舞台。ベッド上にバスローブ姿の男女。初対面らしい。関係性を象徴するように、ふたりのくすりゆびには指輪があった。  情事のあとのよう。猥談が繰り広げられ、次第にそれぞれの過去、学生時代のエピソードへと移る。互いのことはほとんど知らないまま、それでも感情のど

作品としての「作者」への愛【のあんじーまつり『恥』上演に際して】

 「恥」は、1942年1月婦人画報に発表された短編小説である。全編を通じ書簡の形式をとり、その中で書き手である「和子」はその友人「菊子」に向けて大恥をかいた顛末を語る。精神的に安定し明るく透明感のある作品群が目立つ、太宰中期の作品である。 太宰治『恥』青空文庫より  和子は菊子に対し、小説家である戸田とのエピソードを語る。彼女は作者と作品を混同し、新作小説の主人公のモデルは自分であると思い込む。戸田へ手紙を出し、自宅へと訪問した挙句、最終的には自分の勘違いをつきつけられ

中園孔二 個展『すべての面がこっちを向いている』をみる

 ANB tokyoにて開催されている個展。YO-KINGさんのレヴューで知り、足を運んだ。 中園孔二は1989年神奈川生まれ。2015年、25歳という若さで夭逝するまでに、絵画を中心に彫刻、インスタレーションも含め700点以上にわたる作品を制作しています。生前、東京オペラシティアートギャラリーグループ展「絵画の在りか」に出品、逝去後も、埼玉県立近代美術館でのグループ展(2016年)のほか、パリのポンピドーセンター・メス(2017年)や、モスクワビエンナーレ(2017年)、

かまどキッチン『海2』をみる

   HPに掲載の紹介文にあった『(きっと)児童向け冒険譚』という一文、が印象にのこっていた。  本作は三幕構成になっている。  一幕、の作品のてざわりは、毒のある児童文学(SF)のような......スパイスが効いたワッフルにみたことない鮮やかさのシロップがかかってる、そういう様子とかおりがした。かわいいんだけど、くっ、と喉にひっかかるところがある。このどきどきをむかし、感じたことがある。小学校のころ図書館でおそるおそるひらいた知らない本に、呑まれていくあのときだった。

佐川恭一『舞踏会』をよむ

 妻と娘との三人家族のわたしは、職場でも家庭でも孤立していき、限られた小遣いの中でわずかな喜びを見出す日々。強靭な精神を持つ妻に太刀打ちできないわたしは家出することで抵抗するが ・・・「愛の様式」  苦手なドッジボールに誘われるまま参加したことをきっかけに、現実のぼくの心と体はどんどん乖離していく。十歳を目前にしたぼくはすべてを消し去ってしまおうと決意する ・・・「冷たい丘」  この世界はしらふで生きていられる場所じゃない。勝者しか存在を許されない会場で、ぼくたちは倒れるまで