転校
***
全く知らない土地の全く知らない人ばかりの学校に転校した。
午前の授業が終わり、昼休みになった。何もかもが新鮮で、学食も購買もシステムが全くわからない。わたし以外はもうみんな友達グループができていて、ひとりぼっち。ひとりぼっちには慣れっこだ。昼休みの終わる時間だけをかろうじて隣の席の男子に聞いて教室を出た。
1人で校内をぐるっと一周する。
食堂で温かいうどんが売っていた。
今日は小雨で肌寒かったから暖かいものが食べたかったけど、女の子グループが並んでいてやめた。人気なんだろうか。明日は挑戦しようか。食堂を一周して購買に行く。
休み時間はあと10分になっていた。
生徒も少なくなってきて、購買のおばちゃんも暇そうにしている。あたたかい肉まんが売っているのを見つけて、それにしようと思った。
これはお金を先に払うシステム?商品を先におばちゃんに渡すシステム?分からない。
商品を先に取って万引きだと思われたらどうする?でも普通は商品をレジに持って行くのがセオリーだよね。
散々悩んで肉まんをひとつ手に取り、おばちゃんのところに持って行った。
「これください」
なんだか睨まれた。
あ、お金を置くトレーの上に商品を置いてしまったようだ。おばちゃんが指差すカゴの中に肉まんを入れる。すると、重さが表示された。
「重さで値段決めてるからね、150円だよ」
もう昼休みは5分しかない。
今日はわからないことばかりで疲れた。
教室の自分の机に戻って肉まんにかぶりつく。
あれ。味がしない。ふたくちみくちほおばるが、やはり味がしない。そういえば肉まんの温度も感じない。
そうか、これは夢だったんだ。
夢ってほんとに味がしないんだ……と思いながらもうひとくち肉まんをほおばり、先生が教室に入ってきたところでチャイムが鳴った。
***
転校には慣れっこだった。
幼稚園の時は香川に住んでいた。
あの頃はまさか、大好きな友達とさよならする日が来ようとは夢にも思っていなかった。
当然、みんなと同じ小学校に上がるんだとばかり思っていた。
が、別れの日は突然来た。
相当ショックだったのか、みんなと楽しく遊んだ日々の記憶はあるのに、父の転勤が告げられた後のことはほとんど何も覚えていない。
引っ越しの日、団地の仲のいい友達みんなで最後に写真を撮った。
そのままわたしと妹だけが父と母に手を引かれてみんなから引き剥がされていく。私はわんわん泣いた。みんなもすこし泣いていた。妹はまだよくわからないのかキョトンとしていた。
「東京に行っても頑張ってなー!」
「ありがとー!元気でねー!
大人たちの声が遠い。
あれが私の人生で1番心を引き裂かれた出来事だった。
小学生にあがり、うちの父には2年に1度転勤があることを理解した。
2年後にどうせ別れが来ることを知った私は、無意識に心の奥底どこかに蓋をして友達を作った。
その後2度小学校を変わったが、大した苦痛じゃなかった。学年が上がるごとに別れに対する悲しみも、人と仲良くなる深さも、浅くなっていったのかもしれない。
勉強机にずっと飾っていたみんなで撮った写真は、2回目の転校の時に捨てた。
「次は福岡だよ」
父はある日突然、旅行雑誌を買い込んで帰ってくる。それが転勤の合図だ。
「福岡といえば博多ラーメンやね!明太子に水炊きにもつ鍋!」
「次の家の近くにどんな店があるか調べよう」
父と母はなんだか楽しそうだ。
もう慣れっこだった妹と私は大きな地図を2人で広げてぴょんぴょん飛び跳ね、「お引っ越し!お引っ越し!」とはしゃいだ。
その頃には、引っ越しのたびに悲しんだら両親を困らせると子供心に分かっていたのだ。
でも本当は寂しかった。新しい学校は不安でいっぱいだった。本当は嫌だった。泣きたかった。
あの時、心の奥底にがっちりとはめた重たい蓋が少しだけ開いたのだろう。
もうすぐまた環境が大きく変わる。昨日はその準備をすすめた。だからこんな夢を見たんだろう。
知らず知らずのうちに蓋をして傷ついて、それでも明るく笑っていた小さな小さな私に気がついてあげたことで、少し大人になった私が彼女をそっと抱きしめてあげられた気がした。
私の胸の中では泣いていい。本音を言っていい。
いい子である必要も、お姉ちゃんである必要も、、明るく笑顔でいる必要も、ないんだよ。
よくがんばったね、小さなわたし。
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