栃木SC 歴代外国籍選手列伝 (2009~2014)
最近、ジェイさんが「レノファ山口歴代外国籍選手列伝」を、tkqさんが「ジェフユナイテッド千葉歴代外国籍選手列伝」を発表したことを契機に、Jリーグや中国スーパーリーグの各チームあるいはレフェリーを主な題材として外国人列伝が活発に編纂されている。これら外国人列伝では、客観と主観の両面的視点、すなわち、経歴やプレーの特徴などの客観的事実および著者が抱いた印象や著者のユーモアに基づいて、対象とする外国人に関する解説がなされている。
いくつかの外国人列伝を実際に読んでみると、各チームが歩んできた歴史を学ぶことができるだけでなくサポーターの生の心情にも触れられるエンターテイメント性があり、私は面白いと思った。そして、10年来の栃木SCサポーターである私は、栃木SCの外国人列伝も読んでみたいと思った。しかし、今までのところ栃木SCの外国人列伝は発表されていない(注1)。そこで、私はwikipediaを活用して栃木SCに在籍した外国籍選手を調べてみると、思いのほか当時のエピソードとともに記憶が蘇ってきたのである。栃木SCの歴史に私の記憶を重ねて文章化し世の中に共有したい、これが私が栃木SCの外国人列伝を書こうと思った動機である。
このnoteでは、文量の都合上、Jリーグに参戦した2009年から財政難で主力選手が大きく入れ替わった2014年までに栃木SCに在籍した外国人選手を解説する。私の諸事情により2009年と2010年はほとんど観戦しておらず、何人かの選手について説明がないことについてはどうかご容赦されたい。また、事実誤認や誤植等があれば修正したいのでご教示願いたい。
(注1)このnoteの投稿の数日前に、同じくnote上でnawateさんにより栃木SCの外国人列伝が発表されていた。こちらでは最近の選手にも触れられている。(6月18日追記)
レオナルド (FW ブラジル 2009-2010)
未見。日本国籍を取得し、現在は盛礼良レオナルドに改名。
※2009-2010年の選手についてはあまり知識がありません。情報を提供いただけますとありがたいです。
チェ・クンシク (FW 韓国 2009-2011)
Jリーグ参戦初期に活躍した韓国人FW。肉弾戦に強いステレオタイプな韓国人プレイヤーで、ポストプレーと強烈なシュートが印象に強い。小奇麗なサッカーが昨今目立つ中で、彼のパワフルなプレーは「そういうのでいいんだよ」という我々の確かな需要に答えてくれた。栃木SCには2年半在籍し、74試合出場12ゴール。2トップの相方としてリカルド・ロボを引き立てた功績も大きいのではないか。栃木を退団したあとは熊本に移籍した。その熊本の選手として栃木とグリスタで試合をした時にはあろうことか一発退場をぶっこいてしまった。心に期すものがあったのだとは思うが。
イ・ジョンミン (DF 韓国 2009)
未見。
※2009-2010年の選手についてはあまり知識がありません。情報を提供いただけますとありがたいです。
パウリーニョ (MF ブラジル 2010-2013)
栃木を愛し栃木に愛されたブラジル人ボランチ。91試合に出場し4得点。とにかくボール奪取能力に長けており、彼のボール奪取からの必殺カウンターは他のJ2クラブを恐怖に陥れた。FC東京もこれで撃墜した。やたらボールに食いつくのとシュートが全然枠に飛ばない(こちらは栃木を退団してからかなり改善された印象)という欠点はあったが、弱点の1つや2つがあってこそスーパーマンは愛されるというもの。
2011年と2013年に彼は大ケガを経験した。パウリーニョを欠くと、彼ありきのチーム作りをしていた栃木SCは機能不全へと陥った。2度ともチームがJ1昇格を狙える上位につけていた中での離脱であり、「栃木をJ1に連れて行くのが目標」と語った彼の心の内を思うと胸が痛かった。彼がケガをしなかった世界線が見てみたいものだと今でも思うし、いつかまたパウリーニョとともに昇格を目指せないだろうか。今すぐとは言わないので、晩年は栃木で過ごしてほしい。
リカルド・ロボ (FW ブラジル 2010-2011, 2016)
「ロボに角度なし」、U字工事をしてこう言わしめた。強さと巧さを兼ね備えた生粋のストライカーは、ピッチのどこからでも貪欲にゴールを狙い続け、難しいシュートほどゴールにねじ込んだ。2011年のアウェー千葉戦で見せた、エリア内で敵味方が入り乱れ角度のない状況からここしかないニアハイを撃ち抜いたゴールは圧巻であった。
2010年と2011年の2年間で67試合28ゴール、栃木SCの躍進に貢献した。その後はJリーグや海外のクラブを転々としていたが、2016年夏、当時J3を戦っていた栃木SCに電撃復帰。サポーターは「あのとき」のロボを期待していたが、このときは5試合1ゴールと奮わず、J2昇格の切り札となることはできなかった。35歳となった現在もブラジルで現役を続けている模様。
ヨ・ヒョジン (DF 韓国 2010)
未見。
※2009-2010年の選手についてはあまり知識がありません。情報を提供いただけますとありがたいです。
トリポジ (FW アルゼンチン 2011)
栃木のイケメン選手、いやネタ選手としてご存知の方も多いかもしれない。彼はアルゼンチンの名門、ボカ・ジュニアーズの育成年代で最多得点記録を打ち立てた実績を引っ提げて、2011年オフに栃木にやってきた。上背もそこそこあったし、栃木のサポーターが彼の活躍を期待するには十分な材料があった。しかし、ひと度ピッチに現れると、途中出場なのに動きは少なく得点の匂いはなし、松田浩の守備戦術を遂行することもできなかった。結果、公式戦の出場は31分に留まり、無得点のまま、6月に契約解除に至った。この一連の出来事はネット上を賑やかし、「トリポジる」というスラングも生まれた。実際にプレーを見るまで実力はわからないという教訓が得られたが、それでも新しい外国人には期待せずにいられないのがサポーターの性であった(ジャイロに続く)。
サビア (FW ブラジル 2011-2013)
ずば抜けた身体能力があるとかテクニックがすごいとかといった記憶は全然ないが、兎にも角にも点は取った。いわゆるゴールへの嗅覚というものだと思う。2年半の在籍で91試合31ゴール。大事な試合ほど活躍するのも特徴で、FC東京に勝ったときもガンバ大阪に勝ったときも得点を挙げている。同時期に在籍したロボとは対照的にサビアはワンタッチゴーラーであり、特にヘディングを得意としていた。長身ではないが合わせ方が上手く、難しい体勢でも正確にコースを狙ってヘディングすることができる。敬虔なクリスチャンであり、活躍したときは決まって「神様の計画は素晴らしい」と神様への感謝を口にした。結構好きな選手だったので松本に移籍してしまったときは悲しかった。
ジャイロ (FW ブラジル 2012)
シーズン開幕前の水戸とのトレーニングマッチでミラクルシュートをぶち込みその名を全国に轟かせたが、その後は公式戦に出場することもなく登録抹消となった。確かに日本人にはなかなかできないダイナミックなプレースタイルには夢があったが、よく見ると動きがどこかぎこちなく基本的な能力に疑問が感じられた。とはいえ、前年のトリポジに続きプレシーズンを大いに楽しませてくれた選手であり、ジャイロの思い出は実績以上にサポーターの記憶に残っている。明るいキャラクターもサポーターから愛された理由である。割とFacebookを更新してくれるので、(需要は不明だが)最新情報はそちらを参照されたい。チャントは上からジャイロ(原曲:上からマリコ / AKB48)。
チャ・ヨンファン (DF 韓国 2012-2014)
大卒ルーキーで加入した大型韓国人。ジャイロを外国籍枠から押し出す形でJ2開幕後の3月に加入した。フットサルで韓国代表歴がある。183センチとそこそこ身長があり、かつ、足元の技術もあったため、センターバックとボランチで起用されどちらのポジションも卒なくこなした。空中戦に強く、菊岡のFKに頭で合わせたゴールが何度かあった。また、低い弾道の鋭いシュートを持っており、実際のところゴールが決まったことはほとんどなかった(または全くなかった)が、ミドル〜ロングレンジからも相手ゴールを脅かせる存在であった。在籍3年間で99試合出場とかなり栃木SCに貢献してくれた選手であり、感謝の気持ちしかない。2015年は金沢に所属し、その後は韓国でプレーしている。
ユ・デヒョン (DF 韓国 2012)
大卒ルーキーで加入した韓国人サイドバック。チャ・ヨンファンとは弘益大学校の同期。シーズン序盤はスタメン起用されていたが、9節ホーム岐阜戦で失点に直結するミスを犯して以来干された。このシーズンではDF柳川も同様の失態で出場機会をわかりやすく失っており、これらの出来事はサッカー選手の人生が監督からの信頼という非常に不確実なものの上に成り立っていることを改めて教えてくれた。そんなわけでもちろん1年で退団(2013年は町田にレンタル)。サポーター界隈では「パスタをユデヒョン」というダジャレが生まれた。
クリスティアーノ (MF ブラジル 2013)
オーストリアのレッドブル・ザルツブルクからやってきた超絶スーパーなブラジル人MF。ザルツブルクでは10番を背負っていた。普通に考えてそんな選手を栃木SCが獲得できるわけないのだが、リーグのレギュレーションに引っかかってたまたま出場機会を完全に絶たれていたクリスティアーノに栃木が手を差し伸べレンタル移籍に至った。クリスティアーノからすれば出場機会が得られる、栃木からすれば格安で有力選手を獲得できるというからくりだろう(格安といっても財政難の一因にはなった)。栃木にとってはただただ運が良かった。
個人能力で言えば、フィジカル、テクニック、スタミナ、メンタルまでJ2では圧倒的。チームの状況に応じてサイドハーフ、ボランチ、フォワードで起用されたが、どれもしっかりこなした。特に、松本育夫政権になりフォワードのポジションで自由を与えられてからは良い意味でやりたい放題だった。終わってみれば、2013年は40試合16ゴール14アシストのサイクルヒットのトリプルダブル。栃木史上最高のスキルを持った選手だったのは間違いない。
加えて、(今でもそうであるが)ケガをしないタフネスも彼の長所である。J2だとファールでしか彼を止められない部分もあり、彼はしばしば厳しいファールを受けていた。それでも、出場停止以外はほぼフル出場。無事之名馬である。
栃木を1年で退団した後は甲府と柏で活躍し、Jリーグを代表する外国籍選手となった。大好きな選手だったのでまた栃木で戦ってほしいが、もはや栃木では到底収まりきらない選手になってしまったのも事実である。難しいことは重々承知だが、何かの間違いでもいいから晩年は栃木で過ごしてほしい。
イ・ミンス (DF 韓国 2014)
清水からレンタルで加入した。強化部は「(ボランチの)パウリーニョの抜けた穴を埋められる」とか言って獲得したが、サイドバックの記憶しかない。アウェー磐田戦では右サイドからのクロスでジャンボ大久保の決勝点をアシストし大金星に貢献した。顔がかわいい。
ドゥドゥ (DF ブラジル 2014)
鳥取から加入。開幕戦からセンターバックとしてレギュラーで起用された。開幕当初は危なっかしいプレーも見られたが、試合を重ねるごとにめきめきと成長した。足元の技術はまずまずだったが、高さと強さは圧倒的であり、ロングフィードも上手かった印象がある。ところが、夏場にはすでに代えの利かない選手となっていたのに、(クラブの財政難という事情も重なり)8月に突然柏に移籍した。栃木SCは同時期にFW瀬沼も清水に引き抜かれており(正確には育成型レンタルの期間切り上げ)、ラジオで伊集院光の同情を買ったこともあった。現在は登録名が変わりエドゥアルドとして活躍している。
栃木SC外国人列伝、いかがだったであろうか。説明が稚拙な点もあったと思うが、少しでも楽しんでいただけたのならありがたい。機会があれば、J3へと堕ち新しい栃木SCに生まれ変わってJ2に戻っていく2015年以降の話もしてみたいと思う。あるいは、この外国人列伝をきっかけに読者の方が執筆してくださるなら、それは望外の喜びである。
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