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第1章:人をうらやましいと思うのは悪いことではないというおはなし

わたしには自分に持っていないものを持っている人をとてもうらやましいと思うことが非常によくあります。

外見、才能、お金、地位、名誉、他者からの評価などなど挙げればキリがないほど。

そして、時として自分のうらやんでいる人が憎くなることもあります。
そんな憎い人が転落することにある種の快感を覚えてしまうことがあります。

例えば、自分と同じ部署に自分より大きな仕事を任せられた同期がいたとします。そんな時わたしだったら、なんで自分には回って来ずに、あの子が担当を任されたんだろうと少し嫌な気持ちになります。
さらには、その子が失敗すれば良いのにとさえ思うかもしれません。

中には、同期としてうれしいことなんだから祝福してあげなきゃ、ととても理想的なきれいごとを言う人もいると思います。

わたしも今まではそう言い聞かせて、「自分は人のことをうらやましいなんか思っていない」と言い聞かせてきました。

しかし、色々学んでいく中で、人をうらやましいと思う気持ちや、その人が失敗すれば良いのにという気持ちは決して自分だけが抱いているわけでもないし、悪い感情なのではなく、みんな抱く感情なのだということを知って、きれいごとで自分を偽ることをやめました。

今となっては、わたしは自分の素直な気持ちから目を背けるためのきれいごとで自分を説得することはあまり好きではありません。

今回は、そのように考えられるようになったきっかけや学んだことをまとめていきたいと思います。

ざまあみろという感情"シャーデンフロイデ"状態

1950年代に欧米では心理学が非常に盛んに研究され、様々な心理実験が行われました。今回紹介したい1つ目の実験も、その時期に行われたものです。

被験者全員に、適当なテストを事前に受けてもらい、そのテストの結果とは全く関係なく、ランダムにグループを2つに分けます。

しかし、被験者全員はランダムに分けられているとは知らされず、グループAには成績優秀者、グループBは成績が悪かった人たちだというを伝えられています。

その嘘のグループ分けをされた状態で、あるビデオを視聴してもらいます。
そのビデオには、「あるホームパーティで調子に乗ったお金持ちが酔っ払って気が大きくなり高級車を見せびらかそうとみんなの前で運転して池に落ちて大怪我をした」という内容が流れます。

その後に両方のグループに「そのお金持ちに対してどう思うか」というアンケートを取った結果、以下の回答に分かれました。

グループAのほとんどが「かわいそうだと思う」と回答したのに対して、
グループBの全員が「ざまあみろと思う」と回答しました。
※この実験は統計上より正確な数字を出すために何度も被験者を変えて実験が繰り返されましたが、毎回グループBに分けられた被験者は100%「ざまあみろと思う」と回答したそうです。

この実験で明らかになったことは、
「一般的に憎まれるべき人が転落する状況に対して、直近で自尊心を傷つけられた人々は「ざまあみろ」という感情を抱きやすくなってしまう。」
ということです。

心理学では、この「ざまあみろ」の感情をシャーデンフロイデと定義しました。

シャーデンフロイデ(独: Schadenfreude)とは、自分が手を下すことなく他者が不幸、悲しみ、苦しみ、失敗に見舞われたと見聞きした時に生じる、喜び、嬉しさといった快い感情。
引用:シャーデンフロイデ - Wikipedia -
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%87

現代では、TwitterなどSNS上でよくこの現象に陥っている人を目にします。
匿名であることをいいことに、成功者のちょっとした失敗をネット上でざまあみろと言ったりして喜びに浸る現象などがシャーデンフロイデの具現化してしまったケースになります。

わたしは、ざまあみろと思う感情自体は悪いことだとは思いませんが、それを本人にぶつけてしまうことは絶対に良くないことだと考えています。

自分の憂さ晴らしのために他者に迷惑をかけることはわたしは良くない対処法だと考えているため、こういう方々を目にするたびに自分はこんなことしないように気をつけようと肝に命じています。

猿も不平等を感じて怒る

次にご紹介するのが、2匹のオマキザルに行われた研究になります。

透明のケージに2匹のオマキザルに入ってもらい、それぞれにコインを与えて、以下の3つのステップでエサとコインの交換を行います。

ステップ①
両方の猿に、キュウリひとかけらとコイン一枚を交換できることを認識させる。両方の猿も喜んでキュウリを食べる。

ステップ②
両方の猿に、ブドウ1つとコイン一枚を交換できることを認識させる。
今回も、両方の猿もとても喜んでブドウを食べる。

ステップ③
一方の猿にはコイン一枚とブドウを交換し、もう一方の猿にはコイン一枚とキュウリを交換する。
すると、キュウリをもらった方の猿は、1つのキュウリは食べますが、2回目以降はもらったキュウリを飼育員に投げ返して怒りを表現します。

その映像がこちらです。


2匹ともキュウリを与えられていた時はとても喜んでキュウリを食べていたわけなので、キュウリが嫌いなわけではないのに、なぜこのような反応を見せたのでしょうか。

この実験を行った先生は「自分だけブドウが与えられないことに対して不公平感を感じて怒りを表現した」と結論づけました。

つまり、オマキザルは自分が損をしたという事実を認知し、自分が不平等な扱いをされたことに対して負の感情を抱くと言うことです。

ここから言えることは、われわれ人間には霊長類の本能というのがベースに感情が形成されているため、人間は猿とは違って大脳新皮質を持っているため理性でその本能から湧き出る感情を表に出すことを抑えることができますが、「不公平だ」とか「うらやましい」と思う感情は、本能レベルで湧き出るものだから、それはしょうがないことなのです。

まとめ

2つの実験からわたしが考える大事なことは、ふと感じてしまう「うらやましい」という感情と向き合う上で、それをしょうがないことだと受け止めて、自己嫌悪にならないことだと思います。

ただ、その感情を本人にぶつけてしまうことは、自分にとっても相手にとっても良くないことなので、社会全体のしあわせな気持ちを維持するためには、自分の利益のためや憂さ晴らしのために他人に迷惑かけることはしないように気をつけたいですね。

人をうらやましいと思うことは自然なことなのだという理解さえあれば、成功者を妬む自分って嫌な人間だなとか、わたしはなんて汚い気持ちの持ち主なんだろうとか思ってしまっていた人の気持ちを軽減できるのかなと思い、今回このテーマを選びました。

自分が欲しいものを持っている人に対してうらやましいという感情をマイナスに捉えてしまって自己嫌悪を抱いてしまっていた方々は、少しでも胸のつっかえがなくなって楽になっていただけたらとてもうれしいです。

次回は、心理学のテーマからは少しそれてしまいますが、今ハマって読んでいるユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書『サピエンス全史』について、自分なりに生きる上で勉強になったことをまとめたいと思います。

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