第12章:やらない事を意識するとやるべき事が具体的になる
やるべきこと・やりたいことが続かない時、みなさんはどのような対処法を試みられていますでしょうか。
「継続は力なり」、「千里の道も一歩から」、「塵も積もれば山となる」などよく言われますが、小さなことをコツコツと積み上げていくことで大きい結果を導くことができるというニュアンスの慣用句が世の中にはたくさんあります。
先日、友人から勉強を継続することができない自分を変えたいという軽いお悩み相談を受けました。
それに対して、わたしはいつも考えている思考法を共有したところ、それを受け取った友人の反応が、「目から鱗」といったようなあまりにも新鮮なものだったので、noteでもまとめてみようと考えるに至りました。
「反転化」という思考法
タイトルにもある通り、わたしは常々「やること」と同じくらいに「やらないこと」を強く意識してみるということを習慣にしています。
わたしはこの「やらないこと」に変換させる方法をカッコつけて「反転化」と勝手に呼んでいます。
言葉だけではふわっとしているため、具体的に、以下のようないくつかの場面で「反転化」の例を説明したいと思います。
<勉強>
○具体例
・継続する ▶︎▶︎▶︎ 継続できなくても諦め「ない」
○利点
・続かなかった時に自己否定から脱出できる。
・諦めなかった自分は偉いという自己肯定思考に変換できる。
○補足
物事を継続するために、毎日継続するという意識も大事ですが、それと同じくらいに、できなくても諦めない意識も大事だと考えています。
継続することだけを規則化にしてしまうと、1日でもブランクが空いた場合に、わたし自身はやる気が激落ちしてしまうことがよくあるので、もちろん毎日できた方が素晴らしいとは思いますが、何事も断続的でも続けることが大事だという意識で取り組んでいます。
何かを継続することの本質は「自己成長」にあると思うので、毎日継続という「形式」の部分を大事にするよりも、「内容」に重きを置く方が自分には合っているという自己認識でいるので、自分自身を納得させる論理構築の目的も含意させています。
<対人>
○具体例
・他者を肯定する ▶︎▶︎▶︎ 否定し「ない」
○利点
・自分だったらどうするかを考えるきっかけになる。
・無理に肯定しなくてすむから気持ちが楽になる。
○補足
この場合は、反転化というよりは、反転して付け加えるイメージです。肯定しつつ、否定もしないことを意識しています。
他者の意見や行動を全て肯定することは難しいので、その考えを否定しない心がけがかなり大切かなと思います。
人には生い立ちや経験に即した考え方や行動様式や態度があるため、自分のそれとは異なるものであった場合に、理解が難しいことも多々あるかと思います。
自分にとって理解の難しい考え方を提示された時に、「肯定する」ということを規則化してしまうと、とてもストレスを感じてしまうことがあります。
そのような場合には、わたしは「わたしがその人の立場だったらどう考えて行動するか」を一旦は考えてみるということを意識しています。
そうすると大抵のケースは、あ、そういう意見になっても仕方ないよなという気持ちに落ち着くことが多いです。
つまり、理解が難しい意見であっても、「否定しない」ことを意識しておくと、「その人の立場になって考えてみる」というプロセスに結び付けられるので、自分よがりでない反応を示すことができるという流れです。
これは、相手の立場を尊重することが主眼ではありますが、自分自身にとって理解が難しい考え方を無理に肯定することから「解放される」というためでもあります。
<行動>
○具体例
・席を譲る(電車など) ▶︎▶︎▶︎ 自分は座席に座ら「ない」
○利点
・周囲をいちいち気にしなくて済むから自分の読書に集中できる。
○補足
電車内やバスなどの公共交通機関で、お年寄りや何か不自由な方には席を譲りたいと思っているのですが、「席を譲る」ことだけを規則化してしまうと、周囲にその対象となる方がいないかどうかを常に気にしてしまいます。
そうなると、スキマ時間を使って読書や動画視聴をしているわたしは気が散ってしまいます。
これは自分にとっても非常によくないので、どんなに長距離の移動でも、「自分のことにだけ集中する」ために、わたしは敢えてスタンディング乗車を自分ルールにしています。(最近は空席が非常に多いので座っちゃってます。)
<お金>
○具体例
・節約をする ▶︎▶︎▶︎ 無駄な買い物をし「ない」
○利点
・その買い物が必要かどうかを考える思考力が身につく。
・今ではなく未来のことを考えるきっかけになる。
○補足
節約には限界域があります。
生きていくために必要なものだけではなく、自分をより成長させるための支出もわたしは同じく必要な費用だと捉えているため、そこを削ることがなかなかできません。
日々の生活の中で「節約する」ことだけを念頭に置いていると、もったいないという気持ちが湧いてしまって、自分自身の未来への投資に対するお金は自ずとプライオリティが下がっていってしまいます。
しかし、適切なタイミングで適切な投資をすることが一番効率の良いお金の使い方だと考えているので、中長期の未来の自分がどうありたいかを考えた結果として、「無駄ではない」という結論に至ったものであれば、わたしは躊躇なく「未来の自分への有益な投資」として支出することを厭わないように心がけています。
ヘーゲルの「弁証法」への活用
わたしの勝手に名付けた理論である「反転化」は、意外といろんな場面で活用できることに最近気がつきました。
主な一例として、「弁証法」という論理的思考方法の1つのプロセスとして組み込むことができそうだと思ったので、その「弁証法」の概念と共に、どういう形で利用できると考えたのかをまとめていきたいと思います。
まずは、「弁証法」について、18世紀末から19世紀にかけて誕生した「ドイツ観念論」を代表する哲学者ヘーゲルが発展させた論理的思考法が「弁証法(dialectic)」という考え方になります。
この考え方は、ある主張Aとそれに矛盾する主張Bを合わせて、どちらの主張も切り捨てずに、より高次元の結論Cを導くことを目的とした考え方です。
ヘーゲルは、最初の主張Aを「正(=テーゼ)」、それに矛盾する主張Bを「反(=アンチテーゼ)」と呼び、そこから生まれる高次元の結論Cを「合(=ジンテーゼ)」と定義しています。
ちょっと抽象的すぎる説明でわかりづらいので、以下の具体例を使って見ていきたい思います。
例)
勉強させたい母親(=テーゼ) vs ゲームをしたい息子(=アンチテーゼ)
Question:
上記どちらの主張も切り捨てずに、より高次元の結論(=ジンテーゼ)を導くにはどうすればよいか?
ここで、母親の主張に対して、まつおの勝手理論である「反転化」を用いると、つまり、「息子に遊ばせないこと」を目的としていると導けるので、その目的さえ達成できる答えに行き着けば、高次元の結論を導けたということになることが言えます。
そこで、わたしの陳腐な答えにはなりますが、例えば「息子に勉強ゲームアプリを与えてゲーム感覚で学習させること」という答えであればどうでしょうか。
母親は「ゲームをやめさせたい」のではなく、「遊ばせたくない」ということが反転化で明らかになった本質的な願望なので、遊びが目的でないゲームであれば、母親の主張に反していないことになります。
この帰結によって、ゲームをしたい息子の主張も、息子に遊ばせたくない母親の主張もどちらも達成していますので、いずれの主張も切り捨てることなく、高次元の結論を導けたと言えるのではないでしょうか。
このように、どちらかが譲歩したり妥協したりすることを前提として議論を進めるのではなく、どちらの考えも活かすことに主眼を置くと、新しいアイディアや発想に着地することが多々あります。
最近世の中に出ている新しいサービスは、この「弁証法」に似た視点によって生み出されるものが大変多いと感じています。
例えば一例ですが、IQOSのセリングポイントを考えた時に、タバコから得られる高揚感を維持したいという需要(テーゼ)と、ニオイや煙で周囲への迷惑をかけたくないという需要(アンチテーゼ)をできるかぎり両立させたいという発想から導き出されたわかりやすい事例だと思います。
まとめ
今回のメインテーマは、「やらないことを意識してみよう(=反転化)」という趣旨でしたが、その「反転化」の延長で応用ができる事例の1つとして「弁証法」もご紹介しました。
上述の通り、「反転化」は自己反省・自己成長・自己肯定といった自分にとって価値のある視点変換のきっかけにもなるため、わたしは自分のために積極的に意識しています。
また、まつおの勝手理論「反転化」による物事に対する視点変換に加えて、ヘーゲルの論理思考法「弁証法」によるジンテーゼの積み重ねによって、世の中には新しい発想や価値が生まれ、より豊かな社会の実現に向かっていくのではないかと考えます。
このように、個人と社会の両側面を豊かにする理論と考えているため、日々積極的に意識しています。
古い価値観が新しい価値観に置き換わるのではなく、わたしは、今ある価値観と矛盾する価値観の共存的統合によって、新しい価値観が導き出されると考えています。
加えて、過去の理論や事例から導き出された最適解を、現代の諸々の課題に繋げて考えることは非常に意義があると考えているので、今回は敢えて19世紀の理論を現代を生きるわれわれの実例に繋げて考えてみました。
現状打破できない問題を抱えられていたり、2つの矛盾する課題を解決したいがなかなか前進できないなどの悩みがある場合には、今回ご紹介した理論や実例などのいずれか1つでもみなさんの視点変換による新しいアイディアのきっかけになれば心からうれしいです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
もしこの記事が好評だった場合には、来週は最後に述べた「何かと何かを繋げて考えること」について少し深掘りする記事を投稿したいと考えています。
それでは、来週もよろしくお願いいたします。
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