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#匂いの記憶

本州でスギ花粉の飛散が話題に上るこの時期、奄美ではシャリンバイの花が咲き始める。
道を歩くと風に乗ってほのかな匂いを感じ、見るとシャリンバイである。義母の愛知県で暮らす妹は、この匂いが奄美の思い出だと語った。
私は匂いに敏感な性質で、花の名前は知らないくせに花の匂いは好きなのだ。秋口のキンモクセイや春先の沈丁花の匂いなどは、立ち止まってしばらく花の在処を探してしまう。
 
愛知県で暮らしていた頃に街中でふと、幼い頃嗅いだ洗濯石鹸の匂いを感じ、匂いの主を探し出して調べるとそれが沈丁花なのだった。私が2〜3歳頃の記憶だ。母が洗濯物を干していて、その横で遊んでいる自分の姿を、沈丁花の匂いを嗅いでありありと思い出した。
 
花以外にも匂いの思い出は多い。雪解け時の土の匂いや富武士漁港の匂い、さらに牛や馬の匂いまで、私にとっては故郷の思い出だ。漁港のいわゆる磯臭さなどは腐敗した魚のトリメチルアミンの匂いなのだが、帰省の際にはわざわざその匂いを求めて車を走らせたりする。
出張先の徳之島で何だか懐かしさを感じたのは牛の匂いだった。正確には牛の排泄物の匂いだったりするのだが、それが懐かしい。
 
幼い頃、父が雪かきをした雪で雪山を作ってくれて、ボブスレーやミニスキーで遊んだものだが、その雪山を掘ってかまくらにして中へ入ると、雪の匂いがした。その頃はまだ街中でも石炭や薪ストーブを使っている家が多く、夕方になるとどこかから風呂を沸かす薪の匂いが漂って来た。
 
農家だった我が家では小豆を作っていて、よく小豆の選り分け作業を手伝った。藁のような小豆の匂いも、幼い日々の記憶だ。またその匂いは、私が1歳の頃に亡くなった祖母の思い出とも重なっている。1歳だから覚えているはずも無いのだが、小豆の匂いは祖母の思い出でもある。
 
毎日、夜明け時に犬の散歩をするのだが、この夜明け時の大気の匂いも独特の心地よさがある。
樹々が発散するフィトンチッドや、地上に降下したオゾンが地上の好ましくない臭いを消臭することが、早朝の爽やかな空気を作っているとの説もある。
 
現在暮らしている奄美の海の匂いも、いつか懐かしいと思う時が来るのかも知れない。

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