49 環境と自分

津軽弁での有名な会話に「どさ」「ゆさ」というのがある。「どこ行くの?」「風呂に入りに」との意味だ。極寒の中で知り合いに会って長話などしている場合ではない。短く端的な会話は、津軽の厳しい環境下で生き抜くための人々の知恵であったというのがその理由とされている。ロシア語も極寒の中で肺を凍らせないために、口を少し開けるだけで発音できる音で構成されていると言う。
言われてみれば南国・奄美の人の話し方は冗長で無駄が多い。発音も口を大きく開き唇を多用する音が多いように感じる。言葉ひとつとっても人のありようは自然と密接に関わっている。

フジテレビの『ボクらの時代』で、さだまさし、松本人志と鼎談した泉谷しげるが真理を突いた話をしていた。さだの「個性って持って生まれたものですか?それとも作り上げたものですか?」との質問に対し、泉谷は「人間なんて、何もないんだから、そんなもの概念とか教育とか親との習慣とか、世間を見て『ああなろう』『こうなろう』ってなっていくんで。元々は何もないじゃない。個性なんてものはさ、みんなとの都合だよ」それにさだが返す。「みんなで集まったときに、三塁手がいないなと思ったら、三塁を守ればいいわけだ。そのうち三塁手が身についてくるみたいな」

まさに環境と人との関わりようを表している。「自分」とはあるようで無いものだ。環境という背景の相互作用の集積こそが自分であるとも言える。立ち止まっているうちは何も見えては来ない。歩きながら、生きながら、環境が突き付ける問題群への回答こそが「自分」そのものである。

さて現在、その環境が大きく変動している。医学博士で医療ガバナンス研究所 理事長である上昌広氏によれば、コロナウィルスの動きには周期があって、5月半ばから6月には一旦感染者が減る事があるかもしれないが、それは政府による緊急事態宣言の成果ではなく、季節性要因によるものだと言う。その上で現状では今夏の「変異株の大流行」は不可避であるとの見解である。

もはや政府を当てにする事は出来ない。環境からの新たな問題提起に対し、自分自身がどう回答するかである。生物としての知恵が問われている。愚かであってはならない。

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