松尾 憲幸
43 人としての筋力
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43 人としての筋力

松尾 憲幸

私は、市のNPO法人連絡協議会の世話役をしている関係で、年に2回は管内の共生・協働推進協議会の会合に出席する。ある時、鹿児島本土のNPOの代表の方から「共生って何でしょうか?」と尋ねられたことがある。その答えは、30年以上も前に私が福祉系の大学に入学したばかりの頃、教師から尋ねられた「福祉とは何だと思いますか?」という質問への回答と重なる。「相手の立場で考えることです」と18歳だった私は答えた。実は他の福祉系大学のパンフレットの文言をそのまま答えたのだが、それを知らない教師はひどく感動してくれた。
 
「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」とは夏目漱石の『草枕』の冒頭の一節だ。あとに、「ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」と続く。
 
哲学者の内田樹は、人が人でなしの国に落下しないためには「共身体形成能力」が必要なのだと言う。(『日本霊性論』内田 樹, 釈 徹宗  2014年/NHK出版)それは、他人とどう接するか、と言う話だ。
 
ー以下引用。
・・自分の内側に対象を「取り込む」のか、自分自身を組み替え、他者の他者性を温存したまま「共生」するのか、その二者択一の違いです。〜中略〜 自分の前に自分ではないものが出現してきたせいで、「その人がいなければできたこと」ができなくなった代わりに「一人ではできなかったこと」ができるようになる。その「一人ではできなかったことが、二人いるおかげでできるようになった主体」がレヴィナスのいう「私たち」ではないか。
ー引用終り
 
「私たち」とは、つまりは共生だ。内田は、共生する力 ≒ 共身体形成能力こそが、人類が他の霊長類と分岐したときに選択的に発達させたものではないか、とも言う。共生する力こそが、人が人たる要件であると。

行動経済学者のダン・アリエリーは、ある大学の研究施設で社会規範についての実験をおこなった。高級チョコレートを50個載せたトレイを助手に持たせ、「チョコレートはいかがですか?」と1人でいくつ取っても良い事をほのめかしながら研究員たちに声をかけた。後日、「チョコレートはいかがですか?1個1セントです」と声をかけた。無料の時は他の研究員の取り分も考え、みな遠慮がちに1人平均1.5個のチョコレートを取った。しかし有料の時は、1人平均30個のチョコレートを手にした。無料の時には存在した他人への配慮が、お金を払うとなるとすっかりどこかに消えてしまった。「お金を払うのだからいくつ取るかは自由だろう」となってしまう。おわかり頂けるだろうか?「相手の立場で考える」気持ちは、些細な環境の変化で簡単に消えて無くなってしまうのだ。

「相手の立場で考えることです」と18歳の私は何の身体的感覚も持たずに答えたが、あれから30余年を生きて、今なら実感を伴って言うことが出来る。「相手の立場で考える」ためには人としての筋力が必要で、しかもその力を発揮してこそ自分自身がようやく人たり得るのだと。人としての筋力は、経験と自らにトレーニングを課すことによってしか身に付くことは無い。
 
*今週の参考図書
・『日本霊性論』内田 樹, 釈 徹宗  2014年/NHK出版 
・『予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 』ダン・アリエリー  2008年/早川書房

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こそばゆい
松尾 憲幸
北海道生まれ。縁あって奄美大島で暮らしています。