42 愛犬と弓と禅
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42 愛犬と弓と禅

松尾 憲幸

弓道では、射手が自分自身と対決するのだと言う。(『新訳 弓と禅』オイゲン・ヘリゲル  2015年/角川学芸出版)「私」が的に矢を射るのではなく「それ」が満を持して射るのだと。まさに禅問答以外の何物でもない。
「それ」と思われるものを、哲学者の内田樹は『日本霊性論』の中で「共身体」または「自他の融合」と言っている。
 
公演前の美輪明宏が、会場内をくまなく観察してリハーサルまでの時を過ごす。「舞台を身にまとう」のだと美輪は言う。美輪明宏流の「共身体」「それ」の形成過程なのだろう。他人までも含めた環境と自分が一体化し「我を忘れた」ときに初めて一流の仕事が完成する。一流の人は決して「私がやった」などと言わないものだ。
 
なぜいきなりややこしい話を始めてしまったのかと言うと、先日、愛犬を連れて港を散歩した際、ふと目を離した隙に愛犬が釣り針を飲み込んでしまったのがキッカケだ。気がつくと口から釣り糸を垂らして苦しんでいる。慌てて病院へ走った。幸い釣り針は唇に引っ掛かって止まっていたので大事には至らなかった。
 
この時、散歩の最中に愛犬から目を離してしまったと言う一事が、治療の間じゅう頭から離れなかった。愛犬から目を離さないと言うことが「それ」であり、「共身体」である。そんな動物病院の待合所でオイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』を思い出したのだった。犬の事なので後から話のネタにも出来るが、人の子であれば大変な事だ。
 
以前、集まった仲間で会社の立ち上げをした事がある。しかしその中の一人が自分と他のチームメイトを対立関係に置き、自分の立ち位置の確保にばかり執心して仕事にならなかった事がある。「対立関係で話をするのをやめよう」と提案したがダメだった。結局そのプロジェクトは消失した。
 
つまりは仕事も生活も、チームや家族そして地域や職場を「身にまとい」、目を離さず、自他の差別を越えて全体の質的向上を目指すことが、延いては自分自身の幸せになる。人に勝る事ばかりを願う者は、相対性の海で溺れ死ぬしかない。

*今週の参考図書
・『新訳 弓と禅』オイゲン・ヘリゲル  2015年/角川学芸出版
・『日本霊性論』内田 樹, 釈 徹宗  2014年/NHK出版

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マジっすか。
松尾 憲幸
北海道生まれ。縁あって奄美大島で暮らしています。