見出し画像

#波頭を切るディンギーのように

1995年にWindows95が発売される前後から、当時勤めていた会社でもパソコンが導入されて我々営業マンにも1人1台ずつノートパソコンが支給された。当時は日々の帳簿や業務報告を本社へ送信するのがパソコンを使用する主目的であった。その頃から個人でウェブサイトを持つのが流行り出した。ウェブサイトがホームページと呼ばれる様になったのもこの頃だ。流行り物好きな私は、さっそく自分のパソコンを購入して手引き書を見ながら自分のウェブサイトを作った。
奄美大島で両親が暮らす妻と出会ったのもこの頃で、行く行くは自分も奄美大島へ行く事になるだろうと予想した。その時のためにパソコン一つで仕事が出来ればさぞ便利だろうと思い立った。そこで転職してソフトウェアハウスへ就職したり派遣社員として大きなチームに関わらせて貰ったりしながら経験を積んだ。正社員にこだわっていては、一流企業の大きなチームに加わる事など出来なかった。予想通り、その10年後には義父の介護のために奄美へ引っ越す事になり、今、パソコンひとつで生計を立てている。
 
昔は長時間パソコンを眺めていると目がチカチカして、パソコンとは何と文章を読むことに不向きな道具であるかと誰彼ともなく私は吹聴していた。パソコンで文章など読んじゃいけないぞ、と。それが今では読書は殆ど電子書籍だ。老眼で文字を拡大しなければ読めないと言う事情もあるが、紙媒体でしか出版されていない書物は本能的に避けてしまう。スケジュール管理なども、ほんの2年ほど前までは「一覧性がない」とか「入力効率がペン書きより劣る」などと御託を並べて紙媒体でしかおこなって来なかった。ところが今は、スケジュール管理もメモもバレットジャーナルもすべてスマホの中だ。あとは書類管理のためにタブレットがあればきっと便利だろうと考えている。Googleのウェブアプリとそれを動かすハードウェアの性能が、Googleがウェブアプリをリリースし始めた20年前くらい前からは格段にアップした。GoogleのOCR機能などは随一と言ってよい。もし今どき紙ベースの書類を配布される不幸に出会った場合、その場でスキャンして検索可能なPDFドキュメントとして保存出来る。あとはタブレットとスタイラスペンがあれば紙媒体とはサヨナラ出来る。
 
その昔、公文書は改竄できない万年筆を使って書くのが主流だった。公文書へのボールペンの使用が可能になったのは1970年代のことだ。履歴書なども、私が大学を卒業した頃はペン書きが常識で、ワープロで打ったりすると今で言う「リテラシーの無いヤツ」呼ばわりされた。13年前の東日本大震災の際、主な通信手段となったのはTwitterだった。そして現地が必要とする物資はAmazonの「ほしい物リスト」を介して全国から送られた。2010年から2011年にかけてアラブ世界において発生した民主化運動「アラブの春」ではFacebookが抗議行動への呼び掛けに大きな役割を果たした。
 
若者たちは、目的のためには波頭を切って進むディンギーのように手段の壁を軽々と乗り越えてゆく。手段への拘泥は、時として大切な機会を失ってしまう事になりかねない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?