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40 「ほんとの空」はどこにあるのか?

東京に空が無い、と言ったのは高村光太郎の妻、智恵子であった。「阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空」であると。
 
東京の表参道駅から西麻布へ向かって南東へ進むと、ビル群の中から忽然と巨大な切妻屋根が現れる。根津美術館だ。設計したのは隈研吾。巨大な切妻屋根の下には石畳が敷かれた広大な軒下があり、心落ち着くエントランスとして利用されている。

「軒下の無い近代建築には潤いが無い」と言ったのが隈研吾だ。屋根など無駄だからいらないと言うのが近代建築なのだそうだ。コンクリートで四角い箱を作ってしまえば良いじゃないかと。だから機能と効率を追求した近代建築には軒下も無い。軒下の無い建物では雨宿りすら出来ないじゃないかと言ったのが先の言葉だ。四角い箱ばかりの街並みには潤いが無いと。
思えば軒下での雨宿りは、昔は出会いの場の象徴であった。『雨やどり』と言う恋愛歌があったくらいで、そう考えると軒下が潤いであると言う隈研吾の言葉には合点がいく。
 
ここで隈研吾と同列に思い当たるのは同じく建築家の安藤忠雄だろう。コンクリート打ちっ放しの建物に「間(ま)」と「縁側」を融合させた。住吉の長屋ではトイレに行くのに中庭を突っ切らなければならない。雨の日には自宅のトイレへ行くのに傘が必要だ。あてま高原リゾートの「森のホール」「水辺のホール」では広大な縁側を出現させた。また、広い軒下を設けた神宮通公園トイレのコンセプトはそのまま「雨宿り」である。それは、あまりにも機能性と効率性、経済性を指向し過ぎた近代へのアンチテーゼでもある。
 
現代建築の旗手たちが価値を見出す「軒下」と「縁側」。それは内と外との曖昧な境界である。通り掛かりの人が雨を凌ぎ、腰を下ろして一息入れることの出来る緩やかな交流の空間であり、それはそのまま「人間性」と言い換えても良いのかも知れない。
広く解釈してしまえば、「縁」はまさしく人と人との縁であり、「軒下」は同じ屋根の下に共にある、共存の証しなのではないか。
 
安藤忠雄はそれを「間」と言った。「間」とは言い換えれば機能と機能とのハザマの余白の事だろうか。きっと人の生活には縁側や軒下のような余白が必要なのだ。縁側も軒下も自分と他者とのハザマにあり、それは自分が他者を受け容れるための余白でもある。他者を受け容れられる余白の無い社会は窮屈だ。

高村智恵子は故郷の空が恋しかったのだろう。いつの間にか窮屈になってしまった世の中で、潤いに満ちた「ほんとの空」を探している人は多いのではないか。
「お前もいつかは世の中の傘になれよ」と歌ったのは森進一だが、「いつかは」では無く今ここで、自分の属する共同体の縁側であり軒下である事が必要であると感じている。

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