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#私と愛犬

物心ついた頃には家に犬がいたせいか、犬が好きだ。飼い犬の居ない生活はさぞ寂しいだろうと思う。
いつか両親と、犬と猫はどちらが好きかという話をした事がある。意外にも両親とも猫が好きなのだと言った。両親とも独身時代は猫を飼っていたのだそうだ。父などは腕枕で猫と一緒に寝た話を嬉々として語ってくれた。
そう言えば、母方の伯父の家にも2匹ほど猫がいた。確か白猫とキジトラだったと記憶している。伯父の家には頻繁に遊びに行ったが、それらの猫に愛着を持つことはついに無かった。
 
「メンメ」というのがわが家の初代ワンコの名前だ。スピッツと教えられたが、スピッツ系の雑種だったのかも知れない。私が物心ついた頃には、馬小屋の前に繋がれてワンワンと吠えまくっていた。

メンメと。


家族が車で出掛ける時など、鎖を引きちぎらんばかりに暴れて車を追おうとした。ある時、ついに鎖が外れて車の後をメンメはどこまでも追いかけて来た。そして行方がわからなくなった。
数ヶ月後、父が汚れに汚れたメンメを連れて帰って来た。家から遠く離れた町外れを彷徨っていたのを見つけたのだと言う。メンメは片方の後ろ足を引きずっていた。車にでもはねられたのだろうか。そして以前のように、メンメは馬小屋の前に繋がれた。
足が不自由になり高齢になったメンメは、もう遠くへ行ってしまう事もないだろうと、いつしか鎖で繋がれる事がなくなった。それほど放し飼いにうるさくなかった時代だ。そしてまた、メンメの姿が見えなくなった。メンメは家の裏を流れる小川の縁で見つかった。水でも飲もうと思ったのか、川岸には前足で掻いたような跡があった。父が、わが家の水田の畦にメンメを埋めた。私が小学5年の時のことだ。

メンメがいなくなってから、私は本屋で『愛犬の友』という雑誌を買って来て読み耽った。そこで見るスピッツは薄汚れたメンメと違って、真っ白でフワフワだった。メンメの面影を探しても、どこにも無かった。そんな時、北見の叔父から近所で子犬の引き取り手を探しているとの連絡があった。そうして2代目ワンコのタローがわが家にやって来た。父犬がスピッツ、母犬が秋田犬だと言う。毛並みは父犬譲りのフワフワだが、毛色は母犬譲りのレッド系だった。数ヶ月後、タローは秋田犬並の体格に育った。
私が設計図を描いて、父と2人で犬小屋を作った。今度は犬小屋の周りを2.5m四方の檻で囲った。散歩の際、私が檻に入ってリードを繋ぐのだが、檻に入ろうと扉を開けるとタローはそこから何とかして脱出しようと飛び掛かって来る。


私が高校生になったある時、タローは何度目かの脱出に成功した。いつもの通り、そのうち帰って来るだろうと高をくくっていたのだが、タローはそのまま野犬として捕獲されてしまった。近所の同級生の女の子は、家の前でしっかり繋いでいた犬まで連れて行かれてしまったと泣いていた。タローは私の不注意だが、そちらはヒドい話で、今でも思い出すと腹が立つ。
私が進学で家を出てから、父は新たにシベリアン・ハスキーを飼って可愛がっていたようだ。「モコ」と名付けられたその犬と会ったのは1回だけだが、旧知のように私に戯れ付いてくれた。
 
今、奄美大島のわが家では愛犬チョットと暮らしている。飼い犬とは呼びたくない。同居している。父犬は行きずりのテリア種らしいが、母犬は歴としたミニチュア・ピンシャーだ。体型はミニピン、毛並みはフワフワのテリア系で、放っておくと口の周りの毛がのびて、典型的なテリア顔になる。あと5ヶ月ほどで12歳だ。
母犬が事故死してしまったため、以前の飼い主からの懇請で、生後2週間でわが家にやって来た。まだ目も見えていないチョットに哺乳瓶でミルクを与えて育てた。12年も一緒にいれば、お互いに何を思っているかはすぐにわかる。耳が遠い義母にとってチョットは呼び鈴代わりでもある。猛烈に吠えて義母に来客や宅配便の到着を知らせる。
朝起きれば妻も私もチョットにおはようを言い、寝る前にはおやすみを言う。外から帰ればただいまを言い、出掛ける時には留守番をお願いする。あと何年、一緒にいられるだろうかと毎日思う。だから一緒にいられる今を、家族として存分に楽しみたい。

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