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父親の葬式で自身のウェスタン魂に気付いた話

なりゆき

離別してから30年くらい経ってる父親が死んだという電話を受けました。
2011年5月のことです。
私が住んでいるのは、兵庫県の神戸市で父親が結婚して暮らしていた場所。
父親が死んだのは、鹿児島県の徳之島で父親の生まれ育った場所。
連絡してきたのは、ギャーギャー泣いている姿しか覚えていないイトコの名前を名乗る男性からでした。

最初の電話があったのは、その年の3月ころ。
父親が肝臓の具合が悪くなって検査入院をしたところ、ボケの兆候が見られたという。なので、お前(私のこと)に一度島へ帰ってきてもらって状況を見てもらえないだろうか、という概要でした。

私は当時、神戸市中央区でアメリカのウェスタンファッションアイテムを扱う店で勤めながら、中学生、小学生の男の子を育てているシングルファザーの身でした。
なので、事情を説明して行けない旨を伝えました。しかし、その男性からはその後何度も同じ内容の電話をよこしてくるようになり、そのたびに押し問答を繰り返すという面倒くさい展開になりました。

と、いう流れでやってきた父親死亡の連絡。
明日が通夜で明後日が葬式、喪主はお前(やはり私のこと)だそうな。

父親は、酒が入ると人格が変わる、いわゆる酒乱というヤツでしてね。
小っちゃなころは逃げ回り、少し大きくなってからは喧嘩、離婚して母親について暮らし始めて音沙汰がなくなったけれど、独立して一人暮らしを始めてからは稀に電話をかけてきやがる。素面(シラフ)じゃ恥ずかしいからか知らんけど、いつも酔った勢いでかけるみたいだから、5分たったくらいで酔い始めて性格が変わって絡み始める。このジジイには進歩の2文字が欠けてると思うとムカッ腹が立って、受話器越しで怒鳴りあいの大喧嘩の繰り返し。

さて、どうしたものか。
放っておこうか。

店に貸し付けてあったお金の一部を一時返済してもらって飛行機のチケットを購入しました。
格安航空券とかないからド定価。
やっぱり放っておいたらよかった。
船便という手もありましたけど、着いて帰ってきたら子供たちが餓死というのもシャレになりません。

アウェイな葬式

徳之島空港なる場所へ着きました。
自称イトコと名乗る男性がやってきて声をかけてきました。
赤ちゃんのころの印象ゼロ、むしろマイナス。
一方の私は、1歳児のころから顔つきが変わっていないから、すぐにバレます。
適当に話を合わせて車に乗せてもらって、斎場へ行って久しぶりに父親の顔を見ました。
だいぶ太っていましたけど、おおよそ安らかな顔つきで眠っていました。
さんざん腹がたった顔でしたけど、ここらで勘弁しておきましょう。

翌日、葬式が始まる時間が近づくにつれて弔問する人が増えてきました。
その数は20人強。父親の兄弟はほぼ亡くなっているので親族が殆んどいないにも関わらず、です。もちろん誰一人知った顔はいません。
ところが、相手方の多くは私を見知っている様子で、香典を置いてくださる際に、あのときお前はああやった、来ないかと思っていたけどよく来てくれた…みたいな調子で話しかけてくれる人ばかりでした。ホンマか?
いちばん多かった話題は、お前の親父が作った餃子はマジ美味かったってヤツでした。
しかし、弔問客同士ではシマクチ、地元の言葉で会話をしている。私にはさっぱり分かりません。こうやって完全アウェイ状態で葬式が執り行われました。
式が終わって別室で献杯したあと、用意してもらった料理と酒を食べていただいて談笑している間に、趣味の人間ウォッチングを開始しました。
皆さん身に付けている服が、ええ感じに「ヤレて」いらっしゃるんですよ。クリーニングしてはるんやけど、生地のコシがなくなってヘニョヘニョ。ネクタイも何故か薄い。白いワイシャツも然り。顔も手足も埃っぽく見えます。でも不潔な感じは全くありません。
後刻香典袋を開けて整理していると、袋から出てくるのが例外なくワザと丸めてから伸ばしたようなシワシワの1,000円札。

このとき私は、このオジサマ方に強烈な「ウェスタン」を感じたのでした。
オッサンが埃っぽかったから?
それもある。でもそれだけじゃない。なんやろ?

松岡さんは、店で働くほどウェスタンが好きだった

当時の私は、店で働いてしまうほどウェスタン(アメリカ・サウスウェスト)のファッションや文化のスタイルが好きでした。
先日記事にしましたけど、20歳くらいで手にしたエレキギターがきっかけでアメリカの音楽に興味をもち、彼らが身に付けている服や装飾品にも興味をもちました。同じバンドのメンバーが働いていた雑貨屋を手伝っているうち、1990年ころには雑貨屋がウェスタンの店になるくらいに興味をもちました。
アメリカ本場の商品を紹介していくうちに、サイズや大きさや色合いなど日本人の好みに合ったものを別注してもらったりしたのが好評を得て、ますます仕事にのめり込んでいった時期もあったくらいです。

しかし、新自由主義が謳歌を始めたころから状況は悪くなりました。
色んなメーカーが買収・合併を繰り返し、我々のような小さな店舗の細かい注文は、効率化の名の下で受け付けなくなったり、コストダウンの目的で使用素材が劣化したりしたことで、商品そのものの品質が落ちてきました。
流行に左右されず手入れして気に入ったモノを長く愛用するというウェスタングッズの大きな魅力が薄れていったのです。
自分が自信を持って販売出来ない商品など、売りたくないなぁ。

もう魅力が残っているのは、ネイティブアメリカンのジュエリーやクラフトくらいかな。

全く知らない徳之島のオッサンに強烈なウェスタンを感じたのは、ちょうどこの時期で、自分の仕事に大きな迷いが生まれたときでした。

蘇った徳之島のオッサン

当時働いていたウェスタンの店は、突然オーナーが病で倒れてそのまま帰らぬ人になったことで廃業することになりました。
以後、肉体的and経済的に正念場を迎えた子育てを何とか見通し立つところまで続けたあと、紆余曲折を経て現在の仕事や活動に至っております。
以降、ウェスタンは封印とまではいきませんけど、趣味の範囲で愉しんでいます。

ところが先日、徳之島のオッサンが蘇り、オッサンに感じた謎が解ける出来事がありました。
中島岳志さんの著書「思いがけず利他」を読んでいたときです。

利他の難しさや「うさん臭さ」を、時制の観点から強い説得力を持った言葉で説いているオススメ本ですが、途中、立川談志さんの落語論を引用されてましてね。例のアレです。

落語は業の肯定である。赤穂忠臣蔵で例えるなら、討ち入った47義士の話をするのは講談、落語は討ち入りに参加しなかった人たちへ光をあてるのだ云々のアレです。(引用するつもりが、本を忘れてしまったのでスイマセン)

ここを読んだ瞬間、私に徳之島のオッサンが討ち入りに参加しなかった人たちとリンクしたんです。

そう。私が好きだったのはリオ・ブラボーのジョンウェインじゃない。
悪党に蹂躙されながらも必死に耐えて生き抜く街の、牧場の人たちの姿。
ジョンウェインに一番最初に撃ち殺される下っ端の悪者が、こんなところで殺されるに至るまでの人生。
そんな人たちがそれぞれ大事に使っているモノ、それに惹かれたのだと。
モノは大事に使う人の手によって魅力あるものへと変わっていくのだと。

だいぶスッキリしました。
中島さんも、まさか自身の本で神戸のオッサンの悩みが解決したとは思っていらっしゃらないでしょうね。

でも、これが利他ってもんでしょう。
今日はこの辺で。

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