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かみ合わなかった会話のはなし

以下は,松浦年男先生が主催しているアドベントカレンダー「言語学な人々」の記事として書いたものです。


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かみ合わなかった会話

以下の会話は、私がピカピカの学部1年生だったころに、寮の談話室で友人と交わしたものです。

私 「お腹すいたー、はよご飯食べやん。」
友人「え、お腹すいたのにご飯食べやんの?」
私 「え、お腹すいたらご飯食べやんやん?」
友人「え、だから、なんでお腹すいたのにご飯食べやんの?」
私 「え、やけんさ...(以下略)」

うまく会話がかみ合っていないことが、上の会話からも感じられると思います。

このnoteを読んでいる方の中には、当時の私と同じように、「はよご飯食べやん」ということばに対して友人がなんで突っ込んでいるのかわからない方もいらっしゃるかもしれません。あるいは、私の友人と同じように、「なんでお腹すいたのにご飯食べやん」のだろうと思った方もいるかもしれません。

私と友人の会話は、なぜかみ合わなかったのでしょうか。

福岡県柳川市出身の私と三重出身の友人

私の出身は福岡県柳川市の出身です。柳川は福岡県南部に位置する地方都市で、掘割(写真1)やうなぎのせいろ蒸し(写真2)、北原白秋が有名な観光地です(写真を載せているのは、これを読んだ方の柳川行きたい欲をかきたてるため)。

画像1

写真1. 柳川市沖端町の掘割

画像2

写真2. うなぎのせいろ蒸し(若松屋

大学進学を機に福岡市に引っ越して寮に入った私は、そこでいろいろな地域から来た人に出会いました。九州出身の人が多かったですが、沖縄や福井、三重など九州以外の地域から来ている学生もそれなりの人数がいました。さきほどのかみ合わなかった会話をしていた友人は、三重の出身でした。

「やん」が表す異なる意味

お気づきの方もいるかもしれませんが、かみ合わない会話が生じたのは、お互いの母方言の影響でした。「やん」という音の並びが、私の母方言である柳川方言と友人の母方言である三重方言では異なる意味を表しているのです。以下では、国立国語研究所が作成した言語地図『方言文法全国地図』を基に、それぞれの地域で「やん」がどのような意味を表すのか見ていきたいと思います。『方言文法全国地図』とは、日本各地域の方言を調査し、現れた言語形式を地図上にプロットしたものです。

柳川のデータは『方言文法全国地図』にはありませんが(残念...)、柳川のすぐ近くにある三潴郡大木町のデータは示されています。『方言文法全国地図』からは、三潴郡大木町で「行かなければならない」ということばが、以下のような形式で現れることがわかります。

・行かなければ:ikaja「いかや」(第5集第206図のマーク137)
・ならない  :N「ん」(第5集第207図のマーク60)

柳川や三潴郡大木町で使われる「やん」という形は、「~しなければならない」という義務の意味を表します。noteの最初のほうに示した会話で私が使った「お腹すいたー、はよご飯食べやん。」ということばは、標準語訳すると「お腹すいたー、早くご飯食べないといけない。」のような意味を表しています。

次に、三重のデータを見てみます。三重では、「起きない」、「飽きない」、「見ない」、「寝ない」にあたることば、学校文法でいう一段動詞の否定形に「やん」という形式が現れていることがわかります。

・「起きない」:okijaN「おきやん」(第2集第72図のマーク40)
・「見ない」 :mijaN「みやん」(第2集第74図のマーク24)

このことからわかるように、三重(や他の近畿地方の一部)で使われる「やん」という形は、「~しない」という否定の意味を表します。noteの最初に示した会話で友人が言った「え、お腹すいたのにご飯食べやんの?」ということばは、標準語訳すると「え、お腹すいたのにご飯食べないの?」のような意味を表しています。
(ちなみに、『方言文法全国地図』を見るとサ変カ変に「やん」がつく地域は少なそうですが、友人の発話では、サ変とカ変はそれぞれ「しやん」、「きやん」と言っていたと思います(自然傍受)。もともとは多くの方言で「やん」は一段動詞にしかつかなかったのに、変格活用動詞にもつくように変化しているのかもしれません。先行研究探さやん...)

ここで、最初に示した会話を、標準語訳つきでふりかえってみましょう。

私 「お腹すいたー、はよご飯食べやん。(早くご飯食べなきゃ)」
友人「え、お腹すいたのにご飯食べやんの(ご飯食べないの)?」
私 「え、お腹すいたらご飯食べやんやん(食べないといけないじゃない)?」
友人「え、だから、なんでお腹すいたのにご飯食べやんの(ご飯食べないの)?」
私 「え、やけんさ...(以下略)」

友人は、私が「お腹がすいたらご飯を食べない」と言っていると思っていました。私は私で、「お腹がすいたらご飯食べないといけないのになんでこんなに聞き返されるのだろう...」と思っていました。お互い困惑するのもさもありなんという感じです。友人が「食べやん」を「食べない」に言い換えたのがきっかけで、このかみ合わなかった会話がかみ合うようになりました。

「やん」という音の並びが柳川方言では義務を、近畿地方の一部では否定を表すという偶然の一致からかみ合わない会話が生じ、この会話をきっかけに、義務を表す「やん」はかなりせまい地域でしか使われないということを知りました。当時の私は言語学を知らず、自分が普段話している方言についても無自覚でしたが、この会話をきっかけに自分が話している方言というのを意識する機会が多くなったなあとふりかえっています。

その後

学部2年時の研究室配属で言語学・応用言語学研究室を選んだ私は、いろいろあってピカピカの(博士後期課程)1年生になりました。大学院に進学してからは、柳川方言を話すお年寄りの方に調査協力していただいて、柳川方言の文法を記述しています。(途中経過は修士論文「福岡県柳川市方言の文法概説」をご覧ください(宣伝))。とは言っても、ここ最近はCovid-19の影響によって対面調査ができていない状態です。早くコロナ禍がおさまって現地調査ができるようになりますように...


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