「統一教会」問題が明るみに出した「上」と「下」に分かれている構図
近況報告——九州に帰宅して療養しています
前回のノート記事でお知らせしましたように、微細な転移の発見で抗がん剤治療が始まったため、副作用の管理のために最初入院しましたが、大きな問題がないということで8月3日に退院しています。
その後、免疫が落ちるせいでコロナにかかったりしたら大変なので、単身赴任先の京都から九州の家に翌4日から帰宅しています。
喘息の調子が悪くなることもあって、京都の風通しのいいアパートでは、原則冷房を入れない生活をしてきたのですが、さすがにこっちではそういうわけにもいかず、当初風邪気味になりながら空調管理の仕方を試行錯誤して、やっとなんとか均衡解を見つけたという感じです。
今、自覚できる副作用は血圧が上がるぐらいです。上が150前後、下が100前後ぐらいですね。(今朝、上が160行った…)
日頃は血圧は低めなので、身体が慣れなくてびっくりしてるんだと思いますが、午前中はダルい感じがします。入院当初に、まだつらくならないうちにと思って、手動の採点関係は集中してすませておいてよかった。
しばらくウダウダしていましたが、やっとノート記事を書く気がでてきました。
(今日は午後から発熱して38度まで行ったので、妻にコロナ検査キットを買ってきてもらったら、陰性だったので、とりあえず安心しました。)
[8/7後記:次々副作用が出るので、カミさんに日曜当番医のところにつれていってもらってとりあえず対処療法の薬をもらってきました。準備から手続き等々万事カミさんがテキパキやってくれて感謝に耐えません。やっぱ偉大や。ここでもコロナ検査は陰性でした。]
われわれは国を超えて政策に影響を与えあうことを目指すはずだ
「統一教会」問題追及での気になる言い方
さて、「統一教会」と右派政治家とのつながりについては、今頃感はあるものの、ぜひこれを機に叩いてほしいところですが、われわれのサイドの論調の中に、ちょっと気にかかるものもあります。
それは、「韓国にお金が流れる」とか「外国勢力によって政策が左右される」といった感じの、嫌韓風潮を煽りかねない言い方での批判についてです。
れいわ新選組の関係者からもこうしたニュアンスに聞こえかねない言い方がなされることもありますので、ここで問題の本質をどうとらえればいいのかについての愚見を提案したいと思います。
「底辺への競争」を防ぐための国際的示し合わせの運動
まず、「外国勢力によって政策が左右される」といった批判について。
これまで世界中で、企業を外国に逃さないために各国がお互いに法人税の引き下げ競争をしたり、富裕層が資金を外国に逃さないために各国がお互いに金融所得への課税を引き下げる競争をしたり、国際競争力をつけるために各国がお互いに賃金などの労働条件を引き下げる競争をしたり等々といった、「底辺への競争」が見られました。
これに対して海外逃避を規制しようとしても、例えば、国内の更新設備投資をボイコットして海外の株を買うなど、実質的にすり抜ける方法はいくらでもあるし、規制前に駆け込みされると弊害が大きいです。
そこで今日では、世界中で示し合わせて法人税を高めたり、金融課税を強めたり、労働条件を引き上げたりして、抜け駆けする国が出ないようにしようという運動が生まれています。そうした声の中で、実際にOECDでは法人税の世界的な最低税率を定める取り決めがなされました(まだ15%で低すぎますが)。
(環境規制や食品の安全性の問題でも同様のことが言えます。)
れいわ新選組マニフェストに見る国際的政策調整への志向
れいわ新選組の2021年衆議院選挙マニフェストでの「れいわ財政政策」では次のようにあります。
また、同マニフェストの「れいわ外交安全保障政策」では、次のようにもあります。
「外国勢力」が…という言い方は自縄自縛になる
つまり、われわれプログレッシブは、国際的運動体を通じて、他国の立法府・政府に対して、税制や労働基準や労働者の権利、人権の政策について、私たちの望むような高い基準のものになるよう、働きかけるべき立場にあるということです。
あるいは、日本ではこうした政策が立ち遅れている現実がある中で、こうした国際的運動体が日本政府に対して改善の働きかけをした場合、われわれはそれをサポートし、その実現のために尽力すべき立場にあります。
それゆえ、「外国勢力」が政治家に働きかけて政策を左右すること自体が悪いことのように言ってしまうと、われわれは自分の手を縛ってしまうからよくありません。
実際NGOの活動家が個人としてでも、選挙を手伝ったり、秘書になったりすることはいくらでもあっておかしくないし、これからも十分あり得ることでしょう。これをダメとすることにつながりかねない言い方になっていないか注意しないといけません。
「統一教会」の件が批判されるべきなのは、多くの人たちに甚大な被害を与えたカルトが、多くの日本の民衆の意識から乖離した時代錯誤な右翼的方向に日本の政策を動かした点です。
彼らは多くの今日の韓国の民衆からも浮き上がったカルトであり、そのめざした政策は多くの韓国の民衆にとっても時代錯誤な愚論です。
「統一教会」がそれをやったことが悪いのは、日本会議が同じことをやっているのが悪いことと何も変わるものではありません。
なぜ嫌韓タカ派が「反日」統一教会の言いなりになったのか
自民党タカ派は韓国軍事政権と結んで経済勢力圏化を狙った「親韓派」だった
ところで、日頃韓国に厳しい「保守派」の政治家が、なぜ韓国産のカルトと癒着して、その言いなりに政策を動かしたのかわからないとの声があります。特に、統一教会は日本を悪魔の国と規定し、文鮮明教祖は天皇を自分に平伏させると言っていました。彼らは日頃こんな言説を目にすると、いかにも「反日だ」と言ってブチキレそうなのに、どうしてニコニコと賛辞の言葉を送って手を組めるのでしょうか。
これには二点から答えることができると思っています。そうすると、問題の本質的構図を整理することができるでしょう。
まずひとつは、かつて半世紀ほど前、統一教会が「国際勝共連合」を作って世界の右派政治家に工作を始めた時、日本でそれに応えてスクラムを組んだ復古派・タカ派の政治家たちは、「親韓派」と呼ばれていたということです。
今では、信じられないかもしれませんが、私の子どもの頃(70年代)の記憶では、当時はリベラルな自民党政治家は「親米派」で、復古的なタカ派の自民党政治家は「親韓派」だったはずです。
だから、当時からのタカ派ナショナリストの流れを引く安倍晋三さんたちが、統一教会との関係を引き継いでいることは自然なことなのです。
重要なことは、当時の韓国は軍事独裁政権の国で、自由や人権を唱える者は厳しく弾圧されていたということです。
このときの韓国の政財界のリーダーの少なからぬ人たちが、日本植民地時代に体制内の地位にあった人たちで、日本政府は何度も大量の円借款を流し込んでインフラ整備などで日本企業に還流させて、そこに向けて日本企業が怒涛の進出を始めていました。
軍事政権は当然労働運動を弾圧していましたから、日本企業は低賃金の労働を享受できていたわけです。
つまりその頃の「親韓派」とは、韓国の軍事政権と親しく、日本の経済的勢力圏下にある韓国が好きだったわけです。
統一教会は、その軍事政権の庇護で発展しました。当時のKCIA(戦前の日本の特高やナチスのゲシュタポにあたる)が教団の組織化に関与したということです。
それゆえ、その軍事政権と強いつながりを持っていた当時の日本の自民党の復古派・タカ派人脈と癒着して、日本での影響力を拡大させていったわけです。
彼らが嫌うのは民衆の意思が通る韓国
ところがその後韓国は、軍事政権が倒れて民主化し、先進国並には民意が反映される国になりました。労働運動も自由になり、激しい賃上げ闘争がなされ、賃金が上がって企業の進出先として魅力的ではなくなりました。
しかも経済発展の結果、日本の経済的勢力圏というよりは、むしろ、日本の輸出企業にとってライバルになりました。
かくして、日本の支配層、特に復古傾向のあるタカ派ナショナリストの政治家たちは、嫌韓言説を垂れ流すようになったのです。
つまり彼らは韓国の労働者や民衆が嫌いで、その意思がある程度通るようになってしまった韓国が嫌いなのですが、民衆を抑圧していた軍事政権とその取り巻きとは親しく癒着していたので、その一環であった統一教会とも癒着したのです。
そう考えれば、不思議でも何でもないことです。
「統一教会」は支配体制の責任は問わず民衆からまきあげるから許される
二つ目に注意すべきことは、統一教会は、植民地化を進め、植民地支配から利益を得ていた支配層のレガシーを引き継ぐ者に対してその責任を追及することはなく、それどころか逆に資金や選挙ボランティアや秘書の人材を提供してあげてきたということです。
その一方で、韓国民衆と同じく、戦前支配体制から搾取と抑圧を受けてきた層の立場を引き継ぐ一般民衆をターゲットにして、植民地支配の罪を贖うものとの内部正当化で、霊感商法や献金で巨額のお金を巻き上げてきたわけです。
日本の支配政党の政治家にとっては、こんなに都合のいい話はありません。どれだけ日本を悪魔扱いしようが、痛くも痒くもない。どうぞ好きに言ってくださいという感じでしょう。
しかもそうやって巻き上げたお金は、彼らの嫌いな韓国民衆のために使われているわけではなく、大半はアメリカでの工作資金に使われたというのですから、なおさらOKなのでしょう。
彼らがブチキレるのは、戦前支配体制の責任を追及し、そのレガシーを引き継ぐ者に対して負担を負わそうとした場合です。しかも、事業として日本資本に資金が還流し、日本企業進出のインフラを整備するための「賠償」ならOKなのですが、韓国の下々の民衆にお金が渡るなら断固反対というわけです。
明るみに出たのは「上」と「下」に分かれている図式
つまり目下この問題で明らかになっていることは、全地球を覆う資本主義の世の中の現実では、国を超えて「上」と「下」に世の中が分断されているということです。
そして、「上」の側の人たちは、特に激しく仲違いしながらも、実は国や民族にかかわらず利害を共にして手を組んでいる場合が多いのです。
ところが彼らは、世の中を縦に割って「上」「下」にかかわらず国と国との間に根本的な利害対立があるかのように、「下」の民衆に思い込ませ、「下」の民衆を国や民族どうしでけしかけあわせているわけです。
そのことによって、「下」の側の団結を防ぐことができ、「上」の側による支配と搾取は揺るぎなきものになります。大衆増税を甘受しても法人税を減税して国際的な企業誘致競争に勝ち抜こうとか、賃金を抑えて労働の非正規化も進めて国際競争に勝ち抜こうとか等々と。
このような見方で「統一教会」と右派嫌韓政治家との癒着の問題を眺めて見ると、一見不思議に見えることが不思議でも何でもないことがわかるわけです。
この問題の追及は、「上」の側が狙う国どうしのけしかけあわせの図式に乗っかることなく、上記の本質的構図を大衆に向けて暴露するチャンスとしてなされなければならないでしょう。
お知らせ
さて、近々拙著が出ます。『コロナショック・ドクトリン』
論創社のアンソロジーシリーズ『新型コロナウイルスと私たちの社会』に寄せた原稿をまとめたものです。8月30日発売予定となっています。
よろしくお願いします。