国立西洋美術館常設展の絵画を紹介
マティス展を見終わり、上野恩賜公園を通って国立西洋美術館に向かった。雨上がりの曇り空からは日が差し始めていた。
11時前に上野駅に着いて、マティス展のチケット予約の12時まで1時間ほどあった。東京都美術館に向かう道すがら、ブルターニュ展の大きなポスターに惹かれ、チケットを購入して1時間ほど『憧憬の地 ブルターニュ ―モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷』 を鑑賞していた。企画展のチケットで常設展が無料になると聞いたので、再び、国立西洋美術館に戻るのだ。
Summertime by Gershwin played by busker flows through Ueno Park. 🎥
国立西洋美術館の常設展を見ての感想を、普段使わない言葉で言うと
「松方コレクション、半端ない」
前の note でも描きましたが、特に常設展の5番目のエリアの絵画を見た時、革新的なテクノロジーの進歩、第一次産業革命の影響、そして第2次世界大戦の後の時代と、時代の変遷に伴って、絵画が何かを失っていく様を実感できたような気がしています。
常設展の5番目のエリアの絵画 一覧
常設展|国立西洋美術館 (nmwa.go.jp)
常設展を鑑賞する前に、行きたいと思っていた東京都美術館の「マティス展」を見て、その「マティス展」の前に、この国立西洋美術館の「ブルターニュ展」を見た後だったので、余計そう思ったのかもしれない。
これらの企画展の絵画というのは、19世紀が終わり20世紀が始まる、世界の大きな変革期に描かれた絵画たちです。
今回は、17世紀に描かれた常設展5番エリアの絵画のいくつかの絵画を、国立西洋美術館のウェブページを参考にしながら、ご紹介します。
以下の国立西洋美術館常設展ウェブページの右上の絵をクリックすると大きめに見られます。
国立西洋美術館常設展の絵画を紹介|matsunoya (note.com)
|ヴァニタス-書物と髑髏のある静物
前に立つと、大きな絵で迫力があります。
写真では伝わらない絵画の凄みというのか、16世紀-17世紀の絵画にしか埋め込まれていない「独特の情報量」を、その場で目の前の絵から受け取るような体験があります。今で言うと、インスタレーションというのかな。
インスタレーションは現代アートの1つで、場所や空間全体を作品として表現するアートですが、行って実際に見ないとわからない、そんな驚きがありました。
Wikipediaによれば、
ヴァニタスとは「人生の空しさの寓意」を表す静物画であり、豊かさなどを意味するさまざまな静物の中に、人間の死すべき定めの隠喩である頭蓋骨や、時計、パイプ、腐ってゆく果物などを置き、観る者に対して虚栄のはかなさを喚起する意図をもっていたそうです。
ヴァニタスとはラテン語で「空虚」「むなしさ」を意味する言葉です。
旧約聖書のコヘレトの言葉(伝道の書)1章2節に、有名な言葉「ヴァニタス・ヴァニタートゥム(空の空、虚無の虚無)がありますね。
上の絵には、懐中時計、砂時計、微かに煙が上がるオイルランプ、倒れたガラスのピッチャー、年代記の本、開いた説教集の本、紙に文字が書かれたメモ、木製の笛、ツタの冠をつけた頭蓋骨などが描かれています。
解説によれば、画面前景中央の紙には「詩篇」第26章の一節が引用されていて、この作品のメッセージが端的に要約されているのだそうです。
どのような内容かというと、下記の聖書から引用しますが、こんな内容がメモってあるらしいです。
詩篇 26 : 聖書日本語 - 旧約聖書 (wordproject.org)
17世紀、この絵画が描かれたオランダは自由貿易で結構栄えていたらしいです。日本で言うと、1651年に徳川家光死去、徳川家綱が江戸幕府第4代将軍となった江戸時代です。
画家に絵を注文するのは、当時としてもお金のかかることだったのでしょうから、貴族とか貿易商とか、すごく裕福な人たちの間でこの「ヴァニタス画」を所有して飾ることが流行ったのかと思うと、今の時代のすごく裕福な人たちと比べて興味深いものがありますね。
宗教が人の価値観やものの考え方、感じ方に強く影響を与えていた時代なのだな、と思います。人類の文明の頂点がどこにあるのか、そんなことを考えさせられます。
「空」とか「諸行無常」をテーマにしているのですが、かえって、そこに巍然として存在する絵画が、宗教が人間の行いに与える普遍的価値のようなものを感じます。いい絵です。
|果物籠のある静物
描かれているのは、葡萄、桃、杏、桜桃の入った籠、胡桃、レモン、メロン、17世紀にこのだけの果物を全部買うと、いくらしたんだろう、きっと高いだろうなと思いますが、絵を注文して書いてもらうのも高いでしょうね。
どちらにしても贅沢な絵です。
果物が籠に入っている絵なのですが、これも単に写実的というよりは写実の技術を用いた「静物画」という芸術なのですよね。
その絵の前に立った時にだけ、伝わってくる、言葉にならないような独特の情報がある。自然というものは、一般にそういった情報を持っているのですが、絵画という、言ってみれば人工物なのですが、その人類が生成した人工物が発散する情報に、言葉ではない、人間のニューラルネットワークを共鳴させるような不思議なモノが包埋されている。
この絵画が発散してくる情報は、劇的な科学の発展があった17世紀を経て、やがて第1次産業革命の後に次第に絵画からは減衰して、20世紀には絵画から消えてしまう。
人類の価値観の変遷が、商品価値で売買される絵画に影響を与える。
それが、普遍的な価値を持つといわれる「芸術」であっても、価値観が変われば、同時代には描かれなくなる、その芸術という人工物の脆さというのか、儚さというのか、そんなものが伝わってきます。
解説によれば、コルネリス・デ・へームは17世紀ネーデルラントを代表する高名な静物画家ヤン・ダフィッツゾーン・デ・へームの息子である。コルネリスは、この父のもとで静物画家としての修行を積んだらしいです。
2世代目だからこそ到達できた「豊穣の世界観」のような芸術の持つ絶対的価値を感じさせる絵画でした。
自然に触れることも、身近な喜びではあるけれど、絵画という人工物だからこそ、そこにニューラルネットワークの情報が移築されて固定化されて伝わってくる、芸術独特の何か発散されている情報量に共鳴する体験というものを味合わせてもらえる17世紀の絵画です。
|果物籠と猟鳥のある静物
これも果物籠の静物ですが、サイズが大きいです。横幅が1.4mくらいあります。
解説のウェブページの写真では、きれいな写実的な絵に見えますが、実際の絵画の前に立つと、不思議なゴツゴツした質感が伝わってきます。
350年以上前に描かれた絵画なので、アンティークな質感があるのは当然なのですが、スペインの静物画らしさというか、いい雰囲気の絵です。
上記の解説によれば、バン・デル・アメンは、17世紀初頭のマドリードで活躍し、ボデゴンと呼ばれるスペイン独自の静物画を代表する画家だそうです。
以下、解説からですが、
___
以上、国立西洋美術館の常設展から、17世紀の静物画をご紹介しました。
また、備忘録のように書き加えるかもしれませんが、今日は、この辺で。
松方コレクションの絵画を見た感想などの話も、そのうちしたいような気もしています。
それではまた、
お会いしましょう。
ルーベンス、半端ない。 GN💫💫
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国立西洋美術館を出て上野駅に向かう頃には、空が晴れてきていました。
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