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20代で7社経験した、クセが強い割に繊細な奴が30歳になりました。


こんにちは。てらだです。
2023年2月で30歳になりました。

ごちゃごゃした20代だったので30歳になった記念に書いてみようと思います。

こんな人には是非読んで欲しいです。

クセの強い人。
もっというとクセが強い割に繊細な人。

僕はこだわりや信念みたいなものが強い(人と違う)割に、それを上手く表現できずにイライラしたり、抱え込んで精神的に病んでしまったり、周りの目を気にして行動してきた人間です。

クセが思うように社会にマッチせず、もがいている方に少しでも気付きや心の寄りどころになれると嬉しいです。

一言でいうと「もがき続けた」20代

20代はとにかく動き回っていた期間だったように思います。
物理的にも精神的にも大きな動きがありました。

<住む場所の変遷>
大阪 → 千葉 → 北海道 → マレーシア → 奈良 → 大阪 → 東京 → 京都

<職種の変遷>
法人営業 → ライター → SEO → web担当 → webプランナー → コーチ/経営 → 経営企画/組織開発/コーチングサービス開発提供

1社目の退職で早速レールから外れる(22-23歳)

大学の3回生のときサークルの代表で、大学の授業が23コマ(最大25コマ)あり、インターンも行かず就活は狭い視野で挑み第一志望に落ちました。

就職浪人をしようと思いましたが、借りていた奨学金も使ってしまったので一旦就職することにしました。

食品の原料や添加物のメーカー兼商社の法人営業でキャリアが始まり、最初は順調に楽しく仕事ができ成果も少しで始めた頃、突然ふと未来が不安になりました。

年収1000万円近い上司や部長役員の人達が当時の僕の視点からはどうやっても幸せな人生に映りませんでした。みんな何かに取り憑かれたようで不思議な感覚でした。

ここから抜け出したいと思い、毎日家に帰って副業の勉強を2~3時間やっている一方で、上司からの期待と愛は強烈で毎日2時間くらい立たされ鍛えられる。このギャップで心が疲れていき、最終的には適応障害の診断を受けて退職しました。

正直、診断を受けた時はホッとした。やっとやめれると思いました。

ここで僕は一般的なレールから外れることになりました。

思うような結果が出ない2年間(23歳-25歳)

派遣会社で北海道の礼文島にいくことを決め、最終出社日の次の日にはロシアが見えるほど北にある島に到着していました。

この時は、北海道で本業とは別でwebに関する力を身につけようと決めていて、毎日5時前に起きて3000字くらいの記事を書いていました。

管理栄養士で栄養や健康のことが好きだったので、美容系のオウンドメディアを作っていました。

それを続けいたらご縁でweb関連の仕事でインターンに行かせて頂けることになり2ヶ月マレーシアに住みました。

結果、大した結果が出ずに日本に帰国して失業手当をもらいながら奈良の実家でニートをしていました。

失業手当も終わるなというタイミングでハローワークで仕事を探して中小企業のweb担当として就職することになりました。

そこではグループ会社の10個くらいあるwebサイトのSEO、ライティング、web広告、LINEアカウント運用、事業計画など色々させていただきました。

と同時に色んなバックボーンでクセのある方々とも働かせていただきました。

多少の貢献はできたかなと思う一方、自分の実力不足を痛感させられることがほとんどでした。

総合広告代理店で働く(25歳-26歳)

既にボロボロなキャリアにも関わらず、支社長が面接で面白がってくれて広告代理店に採用していただけました。

60歳近い先輩たちやクセの強いクリエイターとコンビニの前や立ち飲みに行ったりしながらここでも本当に多岐に渡る仕事をさせていただきました。

予算数千万円のwebサイト制作のディレクター、数十万〜数千万の広告運用、イベントの企画/台本作成/手配/設営/運用、映像の立ち会い、エキストラなど、いっぱい提案して受注して形にする機会をいただきました。知らぬ間に運よく社内賞も受賞していました。

残業が100時間を超える月もありましたが、精神的に苦しくなく土日も出勤してました。

そして、この期間に親友のAKIO(株式会社GOAL-B代表)に声を掛けて経営の視座を身につけるための勉強会を毎週実施することになり、第10回を超えたこ頃にAKIOが実際に自分でやりたいと声を掛けてくれて副業も始まりました。

1年くらい試行錯誤しながら細々と続けていて、この時にコーチングにも出会いAKIOBLOGがバズってGOAL-Bを立ち上げることになりました。

株式会社GOAL-Bで自分は何ができるのか?(26-27歳)

元々、僕は戦略や裏方の役割が多かったので、AKIO、なぎらさん、僕の3人がそれぞれ売上を上げるとなったタイミングで自分のできることはなんだろうとすごく悩みました。

AKIOは人を惹きつけメディアを作り、なぎらさんはボディメイクのプロで、僕は一人では何も生み出せないんじゃないかと不安でした。

でも何かしないと僕はこの先の未来は暗いと思い、AKIOのYouTubeで一緒に撮影したりnoteを本格的に書き始めました。

想像以上に河川敷で話している目標達成会議の動画が好評で、noteも1本目から200いいね以上の反響をいただき、コーチングのクライアントがどんどん増えていきました。

僕には分かりやすい成果はなかったですが、僕と話した人が未来へ進んでいく姿が見られたり、みんなが分かりにくいことを構造化して言語化したりすることで自分の能力みたいなものがジワジワと伝わり始めたのかなと分析しています。

それによって「この人と話してみたらなんか良いことありそう」というやんわりとしたポジションが生まれはじめたのかもしれないです。

その後も、コーチングのワークショップを開催した時に、参加者やサポートしてくれた人達がAKIOと僕のコンビをすごく評価してくれて太陽と月みたいな関係性ですごい場を作ってるねと言っていただいて嬉しかったのを覚えています。

この辺りから、自分には何かしらの能力が明確にあることを自覚しました。それと同時にそれが何か自分でも分からず、またしばらくもがき続けることになります。

そして、GOAL-Bのメンバーが増えてきて自分が抜けて大丈夫だと思ったことと、AKIOと僕の「本質」の捉え方やサービス提供手法の違いがあり、独立しました。

最終的に目指す先は限りなく近いと思いますが、AKIOは目に見えるものや現実を大切にし、僕は目に見えないものを大切にするというアプローチ方法の違いがありました。

合同会社Co-Circusで独自路線へ(27-29歳)

初動の売上もよく順調だったのですが、目に見えないものを大切にすればするほど、人に伝わりにくくなるというジレンマに陥りました。

僕には見えているものが人には伝わらないもどかしさと、「伝わらないと価値がない」という固定概念に縛られ続けていました。

これで創業2年目は相当苦労しました。

競合サービスを参考に分かりやすい表現にして広告を出したりしましたが、一件も制約ならず。お金も底を着き、もう会社も閉じようかと考えていたこともありました。

転機となったのが、この時期に受講していたスペシャリスト養成プログラム(心理的柔軟性を獲得して自分の自然体から出るスペシャリティを磨いていくプログラム)。

「失敗してはいけない」「理解されないと価値がない」「現実が変わらないと報酬は受け取ってはいけない」などの心理的な非柔軟な状態から解放され、最終的には開き直って好き勝手やろうと決めてから、売上がグンと上がり安定してきました。また、お声掛けいただいたりご紹介いただくことが増えました。

現在は仕事は、
中小企業3社の経営企画、経営者コーチング3社、コーチング2.0(個人向けコーチングプログラム)の実施をしており、2~4月から始まる新たな仕事もいくつかお声掛けいただいています。

その他にもスペシャリスト養成プログラムの仲間と集まって、新しい取組を考えて色々実験しているところです。

趣味では、
修行系YouTuber、本質思考トレーニング、トライアスロン、キャンプ、立ち飲み、サウナなどを仕事の合間を縫って楽しんでいます。

20代を違う視点から振り返ると「中長期の積み上げ」

20代はごちゃごちゃで紆余曲折ありましがた、中長期に積み上がることしか考えてませんでした。ニートのときも年収300万円のときもあり、貯金は50万円を越えたことがほとんどなかったと思います。

カード枠ギリギリまで分割払いをしてでも自己投資に突っ込みました。

中長期が大事だということに逃げていたという側面もありますが、今となってはここに執着してて良かったです。

大企業で働く友達、GAFAMで働く友達、ブロックチェーン事業をする友達の投稿をFacebookで見ながら、僕は何者でもなく中小企業で年収300-400万円で働いていました。

常に僕の見える範囲でスイーと駆け抜けていく人がいた。凄いな〜、年収高いの良いな〜と思いながら僕には別ルートしかないと思っていて、

僕はレースに参加することを早くに諦め、自分はどう生きていきたいのかばかり考えていた。もはやそれに意地をはっていたと思う。(割と人生一貫してその生き方かもしれないが)

また、自分の性質としては、人がしてないことをするのは好きだし、考えるのも大好き。あと、思い付いてからの初動はある程度早い。

そんなこんなで同じ会社で2年以上続いたことがありません。(今のCo-Circusだけ2年を超えました。)

僕の履歴書は20代でいっぱいになりました。

それと引き換えに、自分の人生にとって大切なものがたくさん積み上がったと思います。

30代は専門性を高め、多方面の方と協力しながら目に見える形に具現化していきます。

20代でやったこと

・富士山2回登頂
・無人島サバイバル生活2回
・バレーボールサークル代表
・ヒッチハイクで大阪から東京行って就活面接
・管理栄養士国家資格取得
・海外7カ国(短期留学、旅行、インターン)
・転居15回(居候含む)
・ルームシェア/共同生活多数
・社会人で7社経験(1社共同創業、1社創業)
・適応障害1回
・サウナで心臓止まって倒れたこと1回
・スクール/塾/コーチングなどへ400万円使用
・20代前半で読書200冊以上
・執筆記事300本以上
・月100時間以上の残業を経験
・総合広告代理店でgood job賞受賞
・イベント企画開催20回以上
・自主開催のワークショップ30回以上
・セミナー登壇数回
・30社以上のエグゼクティブコーチング提供
・1000時間以上のコーチング提供
・「大人の自己発掘プログラム」開発/提供
・コーチング習得プログラム「Coaching NEXT」開発/提供
・「コーチング2.0」開発/提供
・中小企業3社の経営企画
・採用面接20人以上
・金融機関借入600万円
・断食修行1週間0kcal生活
・1000km歩く修行(100日連続10km歩く)
・本質思考トレーニング開催5回
・note,Twitter,YouTube合計フォロワー1万人
・結婚&苗字変更(まつだ→てらだ)
・結婚式の牧師役1回/乾杯挨拶1回
・自己内省を数千時間(多分これが1番長い)


20代でクセあってもがいてる人、気軽に声掛けてくださいね。

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