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僕たちは、どんな世界に生きているんだろう?

こんにちは。てらだです。
さっき、ベランダでタバコ吸いながら空を眺めていたときにふと降ってきたことを書きます。

特に誰の役に立つ内容でもないですが、僕の思考体験を一緒に楽しんでもらえたら嬉しいです。

僕たちは、どんな世界に生きているんだろう。

実は5日ほど前、半年ぶり2回目のコロナに罹ってしまい、前回ほどではないですが、まあまあ苦しんでおりました。ここ数日ずっと寝ているか、ポカリ飲んでるか、スマホでYouTubeを観てるかだったんです。

YouTubeは便利ですね。

ワンピース考察ほぼ全部観て、戦争についての動画も観て、落合洋一さんのWEEKLY OCHIAIも一通り観て、ガーシー議員とか選挙とか政治家の動画も観て、お笑いも観て、生まれて初めてHIKAKINさんの動画も観て、何気なく流れてくるショート動画も観ました。

スマホに相手してもらって、気付いたら夜。
みたいな状態でした。

この時間を過ごしてる間は、生きてるようで生きてないような不思議な感覚で、情報だけがどんどん身体の中に入ってきて、スマホの中の情報の海にプカプカと浮いているような、そんな感覚。

なんでしょうね、この不思議な気分。

どうせ何もできないから罪悪感は全くないんです。でも、大して楽しい訳でもないし、ワクワクもしないんです。ただただ、どこか分からない場所で浮いている感じ。

そして今日、体調がやっと戻って、気持ちよくベランダでタバコを吸っていたら、不思議なことに驚くほど爽やかで大きな青空に包み込まれるような感覚が降り注いできたんです。

その瞬間、

「あれ?僕って、どの世界に生きているんだろう。」

ふと、そう思ったんです。

ついさっきまでは、スマホの中の情報の海にプカプカと浮いているような世界に生きていて。

今は最高に気持ちよくて身体のエネルギーが流れているような世界に生きていて。

つい数日前は仕事のことを考えたり、世界観ってどうやったら作れるんだろうという研究をしていたり、妻と今日の晩御飯は何にしようと話していたりとまた違う世界に生きていて。

なんか、自分が生きている世界って無数の世界があるんじゃないかって。

生きている世界はあまりにも多いと感じる。

これら全ては同じ地球で起こっていることだけど、まるで違う世界がいっぱいあるように体感する。



あれ?



そもそも僕たちって、どんな世界に生きているんだろうか?


2022年の今、地球では色んなことが起こっている。

コロナやサル痘が流行ったり、戦争が起こったり、DXとかWEB3とかメタバースとかが騒がれたり、国家の元首相が殺害されたり、ミサイルがピュンピュン飛んだり、気候変動が本格化してきたり。

さらには、表面的には見えにくいが、テクノロジーが急激に発達して生活が便利になったり、一方で管理社会に近づいたり、人間の知能や生存本能が下がったり。

この地球では、僕たちが見えてる範囲だけでも数えきれないほどの新しいことが起こって、さらには予測できないほどの変数が無数にある。

そして、多様化する価値観、多様化するメディアによって、まるで無数の世界が同時に存在しているような状態になっている。

見渡してみると、あの人が言っていることとこの人が言っていることは全然違うし、ほぼ確実に通じあわないような文脈で言葉を発したりしている。

この人たちは共通の世界の話をしているのだろうか・・・?

そもそも、僕たちは『共通の世界』という世界に生きているんだろうか?

この地球(宇宙)は、一見一つの丸い空間に見えるかもしれないが、そうやって見える空間の中には、実は無数の世界が同時に存在しているんじゃないだろうか?

『共通の世界』なんてものは存在しない。


確かに、共通の世界なんてものはないのかもしれない。

となると、じゃあ僕たちはどの世界に生きているのか。さっき言ってた無数の世界、あれはなんなのか?

そんな問いが浮かび上がってくる。

あれは、全て自分が作り出した世界なのか?

いや、あの浮遊した世界はYouTubeがあったからだし、仕事はお客さんがいるからだし、今日の青空も地球がないと感じられない。

う〜む。

共通の世界なんてものはない。
自分だけの唯一の世界があることもない。
でも、無数の世界が同時に存在する。













てか、
自分の生きたい世界ってそもそもなんだ?

この問いだ。

この問いが先へ導いてくれる。

共通の世界なんてものはない。
自分だけの唯一の世界があることもない。
でも、無数の世界が同時に存在する。

この条件を満たす状態がある。

それは、

触れた世界や情報を材料にして、自分の世界を作る。

そして、自分の世界が誰かの世界の材料になる。

これが相互的に無限に起こっている状態だ。

僕たちは、そこら中に散りばめられている世界に触れ、その中に生きることもでき、それらを材料に自分の世界を創ることができる。


どの世界を生きたいかは、自分が決めればいい。


誰かが作った世界の中に染まって生きてもいい。

自分が作った世界の中にどっぷり浸かって生きてもいい。

色んな世界を行き来しながら、旅するように生きてもいい。

好きに生きりゃいいんだよ。

でも、自分が幸せになる世界が見当たらない、いい感じの世界はあるんだけどちょっと物足りない、他人の世界に依存するのが怖い。

そんな声も聞こえてきそうだけど、そんな人こそ

自分が生きたい世界を自分で創れ!


これ、世界を変えようとか、地球を救おうとか大きなこと言ってるんではないです。

無責任に理想な世界を、自分の世界の中で描くってこと。

何考えてるか分からんけどゲラゲラ笑ってる子供と同じように、自分が創ったその世界観に浸って楽しめばいいってこと。

そして、自分が思い描いた世界と他の世界を交わらせてみるのも、いいんじゃないかな。

そうすると、なんか面白いことが起こりそうなイメージありませんか。

自分が作った世界が誰かの世界の材料になるんだから。

あなたの世界は誰かの世界を面白くするし、あなたが好き勝手に描いた世界は、誰かの世界の材料になって、どこか交わってくる部分が生まれてくるんです。




今日勝手に生み出したこの僕の世界が、
あなたの世界の一部になるように。







って、ならないか!(てへ)








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