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あいたじかんのこと

「お久しぶりです」と言うべきか、「note始めました」と言うべきか。
最後にnoteに文章を投稿してから、2年と4ヶ月が経過しているので、noteの知り合いの方に向けて挨拶をするべきか、2年4ヶ月の間に出会った人に向けて挨拶するべきかで悩んでしまう。

なんて思ってみたはいいものの、思えばこのnoteというものは、『どうせ誰も読んでいないので、誰も興味がないが自分が今抱えている感動や違和感を言語化するための場所』として作ったことを忘れていた。初心忘れるべからず。自ら設定したコンセプトに基づけば、読んでいる相手に向けて挨拶を考えること自体が間違っているのだ。大切なのは、『どうせ誰も読んでいない』ということだった。この要素が自分を救う。とても愛おしいのだ。

シャーレポピー

とはいえ最後の投稿から穴が空き過ぎていて、その続きでこの文章を読むと、とても地続きである人生とは思えなくなってしまうので、一応その間のことをざっと書き留めておく。(最後の投稿は大学の健康診断のことを書いていて、お笑いライブに出ている今とギャップがありすぎるのだ。)

その後も比較的真面目に大学に通っていた。大学に通うこと自体が貴重だったので嬉しかった。生田の街でのほほんと生きていたところに、迫り来る進路選択。どう考えても週5日会社に通えるような体力の状態でもなく、お笑いという夢も捨てきれなかった。故に就活はせず、当時の相方とライブに出ながら、お笑い養成所を探した。いくつものオーディションや説明会へ行き、適当な扱い(オーディションという名の、作家の小遣い稼ぎ)をうけた。その中で一番丁寧に説明し、丁寧にネタを見てくれたのがワタナベコメディスクールだった。

思えば、自然と吉本は避けていた。大人数が所属する天下の吉本。あんなところにいては埋もれてしまうと思ったのだ。思ったというか、当時の相方がそう言ったのに対して、「確かに」と思った。

今考えれば、同じ芸能界で戦う時点でどの事務所であろうと関係がないので別に変わりはなかったが、養成所生の数で言えば、吉本は圧倒的に多く(2022年で680人が入学しているらしい、こわい)、ワタナベは200人前後なので、そういう意味では、埋もれずに講師の方々に見ていただけたので、間違っていた訳でもないらしい。当時の相方に感謝である。

ネモフィラ

そんなこんなで親に頭を下げ、お金をもらいワタナベコメディスクールに入学金を振り込みながら、教授に「あなたはまず本物のお笑いを分析してみなさい。」と半ば叱られ、三谷幸喜についての卒論を書くことにした。した、というか、なった、が正しい。1本も真面目にレポートを書いたことなんてなかったためひどく苦痛で、守らなければいけないルール(書体や期限、提出方法など)が多く大変だったが、とりあえず三谷幸喜を見ていれば研究しているつもりになれたので救われた。同じ映画でも、何度みても面白いというのは、今考えればおぞましいほどに奇跡的なことだ。

その後、卒論を書いてなんとか大学を卒業したのち、ワタナベコメディスクールに入学した。天下の大事務所、ワタナベエンターテインメントの芸人養成所である。言うまでもないが、お笑い芸人を志したのだ。1年間の養成所生生活。週4で中目黒に通い、滑ったりウケたり、焦ったり安心したりした。

街で見つけたパオ


お笑いの養成所というのは、奇妙な空間だった。というより、自らが奇妙な空間だと捉えていただけなのかもしれない。

自らの「面白い」という価値観を疑うことから始まり、プロになる上で「面白い」ということがどれだけ深くてどれだけ狭いことかを認識した。その上で自らが面白いと信じたものを発表して、たくさんの失敗と少しの成功を重ねた。そうしていくうちに仲間ができたが、大好きで愛おしい仲間が面白いという事実が、憎くなることがあった。自分には才能がないのだろうか。自分は面白くないのだろうか。面白い仲間を見るとそんな気持ちが湧いた。それでも通ううちに、何かを掴んでもしくは何かをひらめいて、やっぱりできるかもしれない、あいつを超えられるかもしれないと思った。その細くてちぎれそうな希望の糸を己を騙して掴みながら、挑んでいくような日々だった。

何が奇妙な空間だったか。自意識のコントロールがままならない状態で入ったお笑い養成所というのは、常に何かと比較され評価されレッテルを貼られるような感覚になり、自らの価値(それも極めてシビアな、存在していいかどうかの価値)が一挙手一投足で決まってしまうようなイカれた空間だったのだ。
もちろんこれは捉え方の問題で、僕自身が「面白い」ということに対してすごく神経質になってしまったことによる結果である。楽しんでいたものは楽しんでいたし、何も考えていないものは何も考えていなかった。自らがまだまだなのであれば、そのまだまだを変えればいいだけだと、悔しいながら必死で食らいついていく漫画の主人公のようなものもいた。(うちの相方がそうだった。)

講師陣から見れば、どれも大差ないように見えていたのだと思う。1年目ではなく0年目。初めから完璧に「面白い」訳がないのだ。そもそも、少しも面白くないことがザラである。だから、そんなに神経質になる必要はまるで無かった。ただどうしても、完璧主義的な部分(完璧でなければいけないという強迫観念)が出てしまい、そんな心持ちで戦っては傷ついて、それを隠すように生きていたから、講師にも仲間にも、「目が怖い」とか、「怒ってるの?」とよく言われた。1mmも他者に向けて怒ってなんかはいなかった。ただ、自分の抱えられるストレスのキャパシティを超えた結果、目が死んだのだ。本当に怒ってなんていなかった。

最近ハマっているスコーン

なんてネガを書き連ねてはいるが、思い返せば楽しかったことが多い。自分で考えたネタがウケればこの上ない喜びだったし、仲間が考えてきたネタを見ることは、そのネタがどうであろうとすごく楽しかった。ネタ見せという時間は、ストレスでありながら娯楽だった。

スクール時代の成績で言えば、中の上だった。ABCでランク付けされるシステムの中で、たまにAの下位、基本Bの3位か4位だった。全力で戦った結果だったので、悔しかったが、悔いは無かった。

そんなこんなで最終審査を迎えた。最終審査に合格すると、晴れてプロとしてワタナベに所属できる。最終審査一次は、ネタライブで以って行われ、今までの成績は関係ないとのことだったので、今できる最善のネタを全力で演った。その結果、ありがたいことに一次審査を通過することができ、二次審査へ。二次審査ではあまりうまくアピールがはまらなかったのか、審査に落ちる。結果、一次通過ということで、ワタナベエンターテインメントの芸人部門の仮所属、通称NEXT所属になることができた。

養成所で学んだことといえば、「才能ではなく努力であること」「何が伝わっていないか考えること」「何を求められているか考えること」「後に面白くなればいいこと」だった。今でもたまに忘れて、焦ってしまうことが多々あるので、肝に銘じておきたいことである。

そうして、なんとか模索しながらフリーライブなどにエントリーし、ライブでネタを磨き、月1のオーディションを受け、ライブに出たりしながら3ヶ月が経過し、2023年7月、今現在に至る。

アメ横で気まぐれに食べた豚足

久しぶりに書いたnoteはこんな具合だろうか。
サクッと書くつもりが、長い文章になってしまった。ふんわり書くつもりだったが、意外と熱量のある文章になってしまった。長々と書いてしまって、スクール時代を惜しげもなくさらけ出して、恥ずかしい。それに、これを誰が読んで誰が喜ぶのか、全く見当が付かない。誰も別に嬉しくないだろう。こんなものをあげて、周りにどう思われるかわかったもんじゃない。あげるかどうかもまよってきている。これを打っている手も段々と雑になり、激しいピアニストかと見紛うほど、タイピングする手に高さが出てきた。このまま続けていけば、打鍵に強さが出てきて、キーボードを貫くだろう。

このまま投稿せずに消してしまおうか、と思ったが、大切なことを思い出した。『どうせ誰も読んでいない』んだった。誰も読んでいないのだから、恥ずかしいなんてことはない。誰が読んで誰が喜ぶのかわからないなんて考えなくていい。別にこれをあげても、誰も読んでいない。だからこそ、恥ずかしげもなく本音を置いておけるのだ。

自らの感じた感動や違和感を、これからもそのまま記録していこうと思う。その足がかりとして、このまま載せておく。

早くここに、早起きして掃除機をかけ朝ご飯を食べ外を散歩し昼は軽くドーナツで済ませサウナへ行き3周整い帰りは寿司を食って20:00には寝てしまうような、素敵な日を刻みたい。

20230706


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