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モデルが身内

 先日、某地方文学賞に応募した。原稿用紙15枚程度の作品。
応募する前に妹に読んでもらったのだが。
「面白かった」
「読みやすかった」
「登場人物が想像できた」
「ひとりごちた、とは日本語か?」
「旦那は難しかったって。どうしてだろう?こんなに簡単なのにね」
というありがたい感想だった。
 近頃、妹は、瀬戸内寂聴著の源氏物語を読み始めている。
瀬戸内寂聴が出家した日が妹の誕生日であること、妹の心にすーっと入りこむ文章や言葉に救われていることが、
彼女が瀬戸内寂聴にこだわる所以である。
 これまで応募作の何作かを妹に読んでもらったけれど、
今回ほどありがたい感想はなかった。
源氏物語を読んでいるせいかもしれない。
 ここは素直に受け止めて、
「ひとりごちた」を修正した。妹に「?」を発信されたら、そこは直さないといけないな、と思うのだ。
その他の誤字脱字なども併せて訂正し、推敲し直して、締め切り一日前にレターパックを投函した次第である。
 妹に「ありがとう、今日、投函したよ」
と伝える。
 妹曰く、
「主人公は姉ちゃんでしょう?夫は旦那さんでしょう?母親はお母さんでしょう?全員、想像がついたから、めっちゃ面白かった」らしい。
頭が軽~く震撼した。
果たしてこれでいいのだろうか。
そのマンマなので、見破られた感が半端なく、除夜の鐘が響くように頭はブルブル震撼し続けていた。
ただ一つ。
核となる部分を勉強して盛り込んだため、妹は「勉強になった」と言った。こんなこと、言われたことなかったので少し嬉しい気がした。

ただ、この賞にふさわしい作品を選考するのは妹ではない。私の知らない人であり、私を知らない人である。血はつながっていない人々である。

しかしながら、
身内ほど怖い人間はいない。
身内ほど信頼できる人はいない。
身内に「面白くない」と言われる作品は、本当に面白くないものだ。

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