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「女友達は、唯一元本割れしない財産である」

ものすごいパワーワードだった。


これは、ジェーン・スーさんの『これでもいいのだ』(中央公論新社)の第1章のタイトルになっている言葉だ。



初めて見たとき、あまりに痛快で、笑ってしまった。





みなさんは、なにか悲しいことや辛いことがあったとき、どうやって気持ちとの折り合いをつけているんだろうか?


 生きていると、「私なんて、なんの価値もない」と思わされるようなことが、誰の身にも必ず起きる。ぞんざいに扱われたり、謂(いわ)れのないことで責められたりする理不尽は世の常だ。環境が変わり、それまで当たり前に手にしていたものを、突然失うことだってある。
 そういう出来事があると、なんとか培ってきた自己肯定力なんて、一瞬にして吹き飛んでしまう。私だって、何度もそういう経験をしている。

先に出した、ジェーン・スー著『これでもいいのだ』(中央公論新社)のなかにあるような、こういう状況に陥ったらどうやって生きていますか。





私は

(1)いつでも(ものすごく落ち込んで死にそうなときにも)無限に寄り添ってくれるのは女友達

(2)優しく抱きしめてくれるのは音楽(そういうとき用の音楽がみんなにもあるはず)

(3)上を向かせて前進させてくれるのはお笑い

と信じてやまない。これらにはかなり助けてもらっている。



他には何かあるだろうか、

全てを忘れてお酒を楽しめる、テキトーで平和な友達とか。いいね。


人によっては、都合のいい時に会ってくれる異性とか、色々あるだろう。ね。




とにかく私は、段階によってベストなものがあるにはあるが、女友達だけは、実際(1)〜(3)のどこでも機能しうると思う。私を助けてくれる。



女友達は偉大である。






話がずれるが、

よく、男は「問題解決型」で、女は「共感型」だ。という。



簡単に男女で分けて言えることではないだろう。




でも、確かに、日々この共感力に助けられているところはあるかもしれない。なんというか、「ツボ」がわかっている。



例えば、悩んでいるときに

「それはこういう原因があるし、簡単には解決できないよ。まずはなぜ●●を嫌だと思うのか考えて、その後に〜」

とだけ言われると、突き放された感覚に陥ってしまう。正確な回答だけがほしいわけではない。






めんどくさいことに

「それはこういう原因があって、そのためにはこういう解決策があると思う。でも、私には君の状況全てまではわからないから、『こうしろ』とまでは言えない。最後に決めるのは自分だよ。とにかく、私は君が明るく楽しく生きていられる方であればいいから。それだけ。なにかあったらいつでも話聞くし、今夜辛くなったらまた電話してね、待ってるから」

言ってしまえば、後半の「君が好きだよ」を代弁している言葉がほしい。こういう言葉を、女友達は平気で交わしている。



そして、本当にこれを実行している。色んな合間を縫って、LINEしたり、電話したり、ごはんに誘ってくれたりする。






改めて言うけれど、やはり女友達は偉大な存在だ。

そして、この世界を理解できない人から見たら、どんなにめんどくさいことか。




上のようなやりとりが好きではない女性もいるはず。

けど、少なくとも私は、こうやって寄り添ってくれる存在がいるだけで、打ち砕かれた自己肯定力が回復してくる。




まだ自分は生きていてもいいような気がする。









と散々性別を限定したように受け取れる、「女」友達絶賛noteを書きましたが、女友達だけがいいと言っているわけではありません。


文章だけだと、誤解が生まれやすいから慎重になってしまう。




現にいま、ある人の影響で、初めましての人と会うようにしています。友達作ろうキャンペーン。



周囲の飲み会は全参加しているところ。殻に閉じこもる期から抜け出しつつあるのです。




偉大なる財産。大きなお守りのような存在が私にはある、と思いながら、今日も明日も生きていこう。そうしよう。

サポートをしていただいた分は、noteで今後やりたい企画に使わせていただきます