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斯くも昭和は

…何ちゅうタイトルや。
そんな始まりかたで書かせていただきます。

昔は“一昔”というと10年を指していましたが、それが5年になり…今ってどうなんだろうと思ったりします。1年前でも古い感覚があります。特に若い方々にとってはね。

なかなか日が進まなかった子供の頃。中学高校は勉強する事が増えて益々日が進まなかったな。センター試験、本試験と、体調を崩して酷い風邪の状態で立ち向かうもやはり惨敗に終わり、大学進学を断念し専門学校に入学。これは少し早まった時間の流れの中過ごしたかな。
そして就職。憶える事が山ほどありましたが、全て面白く結構早く時間が流れ…でも、仕事場独特の“嫌な事”もあり、悩んでは時は長くなったりもしました。これが、昭和から平成。

体を壊して仕事を辞めて。引っ越して今度はご近所付き合いでお悩みの日々、これも長かったですね。
いろんな仕事を経験したくてチャレンジした日々。この辺りから時が早まった様に思います。
何だろうな…大好きなファッション業界は既にファストファッション化が進み無個性化してしまってたし、テレビも規制が徐々にかかりだし面白みがなくなってきてました。そんな世界だと時は早く終わる感じだったのでしょうか。

令和になるともう、西暦だけが頼りの頭の硬さになってしまって、さーっと過ぎる日々。暗い話題、面白みのないメディア、弱くなったメンタルは何を見ても感動すら時々にしか湧いてくれないのです。
社会はコンプライアンス遵守が強まり、守るためとは何をなのかと思ってしまうくらい不自由さが目立ってきましたね。そうなるとどんどん時は早まりました。フルタイム働いても早い。
明日が来て、また明日…古くなる自分が背を押している気がします。

そう、昭和って進化が見えて特に日本は面白かったのです。新しいものが増えれば増えるほど、確かに昭和は古くなりました。抵抗、反発する時代になりました。そこからまた新しいものが生まれたり…そんな殻破りな時代なのかなと思ったりします。あぁ、この時代を生きてきたんだ、そう思ってしまいます。


ところが、ここにきて、平成世代から昭和がフィーチャーされています。驚きですね。でも当たり前ですかね。知らないものを知ることはとても新鮮だから。レトロなデザイン、キャラクターが望まれ、歌が歌われ、古着が売れる。あの肩幅の広いジャケットや、シャネルスーツの様なのを着てる若い人も増えましたね。ルーズソックス、ダサセーターなど、みんな“可愛い”といって受け入れられてます。それは面白いです。

でも、何だか遠い目になってしまいますね、昭和人としましては。自分で自分がおかしくなります。世の中も異様に見えてしまいます。決して融合ではないから。違和感…かなぁ。
あの時代に感じた昭和が面白かったんですよね。今見ても感動はしない。懐かしいだけ。それを楽しんでいる様子にはどうも“変”ってしか思えない自分がいます。

ただ、温故知新に役立ってくれるならば良いことだと思います。今の時代、流れが早すぎて、質が悪いんです。ニュースですらネットから拾って数分で書いたものをあげるから、誤字脱字ありの、確認なしのお粗末な出来栄えです。コンプライアンスの壁の前、差し障りのない質問しか出来ないキャスターの問いに答えるご意見番はグローバル目線を持たず自己主張を売りにしていて馬鹿馬鹿しい。
政治だってそう、自己の利権追求が先で、国民は後回しの政策を突然“やる”。たった1割2割の人間に選ばれただけの人たちに何ができる?でしょ。

差し障りのない世の中に、不平等な生き辛さ…それが私の令和の感覚です。だからと言って昭和や平成に戻りたいとは思いません。知識として、自分の嗜好が詰まった時代だったと思って先を見たいという気持ちです。
そして…“やったもの勝ち”の令和はあまり好きではない、これは個人的な思いですが、正直にそう思っています。

こりゃあ、頑固者の年寄りになってるなぁ…ちょっと恥ずかしいけれど、残り少ない人生、周りを見ては“情けないなぁ”って吐露する事が減りますようにと思う今日この頃です。

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