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生きるか死ぬか その前に人は笑えるものか 僕は到底 母のようにはなれない

僕には宝物があります。

それは弟が作ってくれた『母の遺影』です。

写真で母は笑ってダブルピースをしています。
背景は母が好きだった、大山千枚田の棚田が写っています。

実は合成写真なんです。

実際に母がこの写真を撮った場所は
病室のベッドの上でした。

生きるか死ぬかの手術でした

母は胃がんでした。
当初、僕が思っていたより症状は重く、
この日の手術で、胃を全摘する予定でした。

そう予定なんです。

つまり、全摘できるか否か、
それは開いてみなければ分からなかったんです。
手遅れだったら、全摘せずにそのまま閉じて終了。
1時間ほどで手術は終わります。

そんな生きるか死ぬかの手術当日の朝、
母はベッドの上でダブルピースです。

屈託ない笑顔を浮かべて。

怒らない人でした

母はムカデが大の苦手でした。
というのも、上総興津(かずさおきつ)にあった母の実家は裏手がすぐ山で
お風呂場や布団に、よくムカデが出たからです。

それできっとムカデが嫌いになったのでしょう。

幼い頃、僕はそれを知って
ゴムで できたおもちゃのムカデを、
いたずらで母に投げつけたりしました。
(われながらヒドイ)

その度に母は律義に「キャーー!!」と驚いていました。
「もう!」とか言ってジロっと僕を睨むのですが、
それでおしまいです。

僕は母に怒られた記憶がありません。

ずいぶんイタズラもしたし、
すごく高いアディダスのスニーカーをねだったこともありました。
それでも母は「困ったものね」と苦笑いをして許してくれました。

優しい人でした。

どうして、もうこの世にいないのか。

生きていた時、どうしてもっと孝行できなかったのか。
今となっては、そんな思いばかりが胸に浮かびます。

だからお母さんが元気な皆さんへ。
今日ぐらいは “母親” を思って1日を過ごしてみて下さい。
たとえ遠く離れていても
電話をかけてあなたの声を届けてあげて下さい。

親不孝者からのせめてものお願いです。


どうやら僕は永遠にマザコンのままです。




これでまた、栄養(本やマンガ)摂れます!