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二度のV字回復 〝妖精の干し芋〟誕生秘話

これは幾多の危機を乗り越えた〝不屈の誕生物語〟

やますの看板商品の一つ「妖精の干し芋」
3000を超える商品の中でも抜群の売り上げを誇ります。
しかし、ここまでの道のりは「挑戦」と「挫折」の連続でした。

江戸の昔、千葉の飢えを救ったさつまいも

さつまいもの全国生産量ベスト3をご存知でしょうか。

1位 鹿児島
2位 茨城
3位 千葉

千葉県のさつまいも生産量は、鹿児島、茨城に次ぐ「全国3位」なのです。
……ちょっと意外ですよね。
実は、千葉県にさつまいもが根付いたのには「理由」がありました。

その昔、千葉県は何度も「飢饉(ききん)」に苦しんできました。

しかし、江戸時代中期の蘭学者、青木 昆陽(あおき こんよう)がさつまいもを関東に広めたのです。
この時、試作地として選ばれたのが現在の幕張・九十九里町でした。

千葉県は広範囲にわたって火山灰による「関東ローム層」があります。
この土壌は水はけが良く、さつまいもの栽培にうってつけだったのです。
以来、千葉県ではさつまいもの栽培が盛んに行われるようになりました。

そんな土壌でスクスクと育っているのが、さつまいもの中でもしっとりとした食感と、優しい甘味の「紅(べに)はるか」です。

これまでNo.1品種だった「紅あずま」より〝はるか〟に美味しいことから「紅はるか」と名付けられました。

この紅はるかをやますでは、自社農場・房の駅農場で作り、加工まで手がけています。
こうして生まれたのが「妖精の干し芋」です。

売り上げ4位を誇る「妖精の干し芋」


黄金色に輝く美しい「妖精の干し芋」
3000を超えるやますの商品の中で、売り上げ第4位を誇る人気商品です。

パッケージは透明。
中には、少し不揃いな干し芋の姿。
逃げも隠れもしない、やますの「正直さ」がよく出た商品です。

製法はいたってシンプル。
「蒸して」「切って」「干す」
砂糖、その他の添加物は一切加えず、紅はるかの「甘味」だけで勝負しています。

2019年の発売から、たくさんのお客様に愛されてきました。
しかし、ここに至るまでの道のりは長く険しいものでした。
時はさかのぼること、2000年。
やますのさつまいも商品は〝崖っぷち〟に立たされていました……。

今こそ変わらねば


ミレニアム問題に注目が集まり、
メジャーリーガー・イチロー(マリナーズ)が誕生した2000年(平成12年)
やますには全体売り上げ2位を誇る、さつまいも商品がありました。

それが……「紫いも納豆」です。
作り方はいわゆる「甘納豆」と同じです。

砂糖や蜜で煮込み、乾燥させた後で、グラニュー糖などをまぶします。
素材にどんどん〝甘みを加える〟ことで完成するのが「甘納豆」です。
しかし2000年頃から「紫いも納豆」の売り上げが落ち始めました。

当時、健康志向の高まりもあり、同時に若者世代から〝甘納豆は古くさい食べ物〟と見られるようになってしまったのです。
そんな時代の風を受け、紫いも納豆の工場で働いていた一人のおばちゃんが、寂しそうにこぼしました。

若者世代は見向きもせず、購買層は変わらず、ただただ高齢化するばかり。
まさに先細り、ジリ貧でした。

そこで、房の駅代表・諏訪聖二(すわ せいじ)氏は決断します。

「商品の見直し」
まず取り組んだことが、甘納豆の表面についた「砂糖」を無くすことでした。
甘さを減らすことで、ふたたびお客様に振り向いてもらおうと考えたのです。
ところが、周囲からは大反対の声が……。

それが「賞味期限」の問題です。

砂糖が保存料代わりとなり「紫いも納豆」の賞味期限は「120日(4カ月)」に保たれていました。その保存料(砂糖)を取り去った結果、賞味期限はなんと……

120日(4カ月)→30日(1カ月)になってしまったのです。
合わせて刷新しようと試みたのが原料となる「さつまいも」でした。
これまで使ってきた、茨城県産から千葉県産に切り替えたのです。

賞味期限の大幅短縮、原材料の変更……
そんな中、2005年にリニューアル発売したのが
「千葉県産さつまいもの甘納豆(砂糖がけなし)」
しかし、これが全く売れず、発売3カ月で終売。

その後も、もがき続けますが、売り上げはどんどん落ち込み、
かつて全体売り上げ2位を誇った商品が、ついに全体のワースト2位にまで落ちてしまいます。

転機が訪れたのは2010年でした。
甘納豆→砂糖抜き→さつまいも煮……
試行錯誤を繰り返した結果、どんどん甘みが引き算され、味がシンプルになっていきます。

問題はネーミングとパッケージでした。
諏訪氏は頭を悩ませます。
そんな時、ふと頭をよぎったのが、紫いも納豆の工場で働いていたおばちゃんの言葉……。

「おしゃれ(ハイカラ)に振り切ろう」
そう思い、生まれた名前が「天使のお芋」
どうせなら徹底的にかわいくしてやろうと、都内のおしゃれなケーキ屋さんでロールケーキを見て回りながら、パッケージのイメージも膨らませていきます。

※当時のさつまいもは「紅(べに)あずま」を使用。

今までの甘納豆のイメージをぶち壊す、可愛らしいデザイン。
羽の形に切り取られた小窓からは、さつまいもがのぞいています。

2008年頃、大きな話題になった食品偽装問題もあり、多くの日本人が「食」に疑いの目を向けていました。
こうした状況の中、中身が見えるという「正直さ」は歓迎されました。

……結果、少しずつ売れ始めたのです。

ワースト2位だった売り上げは、グングン伸びて全体の2位へ。
2000年に見えた〝商品の翳(かげ)り〟
そこから10年の時を経て、ついにV字回復を果たしたのです。

想定外の横槍と謎のふくらみ

「天使のお芋」
このまま順風満帆にいくかと思われた矢先、想定外の横槍が入ります。

大手メーカーから「天使」というネーミングに対してクレームが入ったのです。
弁理士(べんりし・知的財産に関する専門家)にも助言を仰ぎますが、裁判で争う費用と時間を考えたら、とてもワリに合わないという結論……。

「天使」という名前を泣く泣くあきらめ、「妖精」へと変えます。


心機一転、巻き返しだと思った矢先、ふたたび想定外のアクシデントが起こってしまいます。

さつまいもから原因不明のガスが発生し、パッケージが膨らんでしまったのです。
ガス自体は有害なものではありませんでしたが、いくつかの商品について「味が酸っぱくなってしまう」という現象が起こりました。
どうして商品がそうなってしまうのか、お客様にきちんと説明ができないまま売り続けるわけにもいきません。

リニューアルから4年後の2014年。
断腸の思いで「妖精のお芋」の、販売停止を決めました。

奇跡のV字回復から2本の横槍(ネーミング・謎のふくらみ)
ついに売り上げはゼロ……。再び、谷底へ落とされます。

やはり、甘納豆からの転生はムリだったのか。
「妖精のお芋」に関わる、全ての人の心が折れかけていました。

販売停止から半年、1年、1年半……
ある日、お客様からこんな声が届いたのです。

声は1つではありませんでした。
「また食べたいです」
「復活、待っています」
「再販はしないのですか」

そこで諏訪氏は改めて「お客様が何を求めているのか?」を考えました。
考えに考えた結果、たどり着いたのが「紅はるか」に極力手を加えない、
昔ながらの素朴な味「干し芋」だったのです。

ここで新たな問題が浮上します。千葉県に「干し芋農家」がいなかったのです。

諦めなかった3人の女たち〜お芋なでしこの粘り腰〜

干し芋といえば、全国的に有名なのは茨城県です。
全国生産量9割のシェアを誇る「干し芋王国」です。
当然、干し芋作りのノウハウ、美味しく作るコツを熟知した農家がたくさんいます。

一方の千葉県。
家族が食べる分だけ干し芋を細々と作る農家がいました。
ところが、干し芋を専門で作っている農家は一軒もいなかったのです。
当たり前ですが、ライバルに(茨城県)に教えを乞うわけにもいきません。

文字通り、一から作るしかなかったのです。

干し芋の加工はいたってシンプルです。
収穫→貯蔵→蒸す→切る→干す
砂糖不使用、無添加。素材の味だけで勝負しなければなりません。

貯蔵する期間、蒸し時間、皮のむき方、さつまいもの厚み、干し方。
あらゆることが手探りです。
そんな中、すべての工程で「美味しい最適解」を探さねばなりません。

毎日毎日、試行錯誤が続きます。
ここで奮闘したのが、のちに「お芋なでしこ」と呼ばれた女性スタッフたちでした。

中心となったのが、干し芋作りの初期から頑張り続けたこの3人です。

繰り返しますが、全ては一から、正解のない干し芋作りです。
少しずつやり方を変えて、ただただ試すしかありません。

作業場の温度は夏は30℃を超え、冬は0℃以下になります。
そんな過酷な環境の中、一つ一つ丁寧にさつまいもを加工し、選別します。
毎日毎日、同じ作業の繰り返しです。
収穫作業が間に合わない時には、自ら畑に出て手伝うこともありました。

なぜ、そこまで干し芋作りに没頭できたのか?
当時の苦労を交えながら、3人が教えてくれました。

「そりゃ、生活のためもあります。
 何としても、干し芋工場を存続させなければ!という思いもありました」

「当時は大変過ぎて、みんなの気持ちがバラバラになることもありましたけど、
 結局、干し芋作りが楽しくて、職場が一つになれた気がします」

「……どんなに苦労しても、美味しい干し芋ができると嬉しいんですよ」

なでしこたちの思いは一つ。

貯蔵期間……、蒸し時間……、皮のむき方……、干し方……。
一歩一歩、にじり寄るように決めていきます。

そして、ついに妖精のお芋が「妖精の干し芋」へと生まれ変わったのです。

一からスタートした干し芋作り。
お芋なでしこの粘り腰と、房の駅農場のみんなの頑張りが実った瞬間でした。

最後の踏ん張り、運命の品質会議

お芋なでしこたちの奮闘もあって、
2019年「妖精の干し芋」が、房の駅の売り場に戻ってきました。
……ところが、売り上げが伸び悩みます。

最高の干し芋はできたハズ……。
なにか最後の一押しが必要でした。
転機となったのは、2019年6月に行われた「品質決定会議」

品質決定会議とは、商品にする干し芋の品質を決める重要な会議です。

会議室の机の上に、形も大きさもバラバラな干し芋がいっぱいに並べられました。

それを、Aランク、Bランク、Cランクと選別していきます。

※イメージ画像

茨城県をはじめ、多くの干し芋は、形がそろった美しい「Aランク(最高ランク)」の芋しか使いません。「妖精の干し芋」もそうでした。

〝どの品質の干し芋まで使うのか〟

房の駅代表・諏訪氏の決断を、周囲の社員は固唾を飲んで見守ります。
「妖精の干し芋に使うのはここから……」
そう言いながら、Aランクの端から指をスライドさせていきます。

Aランクを超えてBランクへ……
「……一体、どこまでいくんだ?」
まわりの社員の顔が徐々に青ざめていきます。

ピタッと止まったのは……

BランクとCランクの境界線。
つまり、これまでAランクしか使わなかった「干し芋」をBランクギリギリまで
使うことを示したのです。

重苦しい沈黙。
それでも、諏訪氏には〝根拠〟がありました。
ヒントとなったのは、奇しくも多くの国内大手メーカーが作っている「ポテトチップ」でした。

ジャガイモをつかったポテトチップだって「形も大きさもバラバラじゃないか」
それでもお客様は「食感と味わいの違いを楽しんでいるじゃないか」
同時にこんな思いもあったのです。

〝なるべく多くのさつまいもを使ってあげたい〟

こうして2020年、不揃いな干し芋が入った「妖精の干し芋」をあらためてリリースしました。

……すると、売り上げが伸び始めたのです。
正直なパッケージに惹かれ、お客様が次々と手に取ります。
販売停止、売り上げゼロから、二度目のV字回復を果たしたのです。

〝二度のV字回復〟

Vを2つ並べてみてください。……Wとなります。
つまりこれは……

2000年に始まった凋落から、20年の時を経て、甘納豆は最高の干し芋へと姿を変えたのです。

小さな子供たちへ、干し芋文化の継承


千葉県市原市山小川(やまこがわ)
市原鶴舞インターのほど近く、ぐるっと野山に囲まれたのどかな場所。
「市原ぞうの国」がある町としても有名です。

この地で、実りの秋10月。
地元の風物詩となった光景があります。

さつまいも掘りです。
……そしてこの紙芝居。

主人公のさつまいもが「干し芋」に生まれ変わるまでを、ヒーロー仕立てに描いています。

千葉に干し芋文化を根付かせ、未来へ残していきたい。
そんな思いを込めて、やますが2020年から取り組んでいます。

江戸の昔、青木 昆陽(あおき こんよう)が千葉につたえた「さつまいも」
江戸、明治、大正、昭和、平成……、そして令和へ。
時代と共に、千葉の大地にしっかりと根を張り、たくさんの人たちを笑顔にしています。

これは、妖精誕生の裏にあった、汗と泥にまみれた小さな物語……。

※こちらはやますの公式HP(この記事の取材・構成を担当しました)









これでまた、栄養(本やマンガ)摂れます!