うちの父も、米津玄師さんも、宮澤賢治さんに影響を受けていた。わたしが理念にこだわる理由

今日は、何故スタイルアンドメンターの活躍の場を、企業や自治体におきたいのか?の理由を書きます。

その前に、何故題名が、米津玄師さんよりも私の父を先に書いているかと言うと、年齢的には父の方が先に宮澤賢治さんが好きだったのと、米津玄師さんが宮澤賢治さんを愛してやまなかったことを私が知ったのは、つい昨日だったからです。笑

最近ハマっているドラマに、「MIU404」という綾野さんと星野さんが出ている刑事ドラマがありますが、主題歌を米津さんが提供していらして、昨日、paraviアプリで3人のトークショーを拝見し、初めて

「米津玄師さんも、宮澤賢治を愛してやまなかった」ということを知りました、、

ゴーゴー幽霊船は、宮澤賢治さんの世界観

私はかなり音楽には疎いですが、耳に入る米津さんの詩がなぜ心に沁みるのか、理解できた気がします。とくに「ゴーゴー幽霊船」が好きで。

あれ?そうか。つまりこの歌こそ、宮沢賢治の『春と修羅』、『銀河鉄道の夜』の世界観だったことを知りました。

父は生前、宮澤賢治さんを崇拝していました

私のプロフィールにもありますが、うちの父は、本当に宮澤賢治さんを崇拝していました。だから東京で生まれ育った人でしたが、教育者として田舎で暮らしたいと一念発起し、里山で草花を研究する暮らしをしていました。田舎で下宿をした先の娘が、うちの母でした。

よく考えたらマクロビ生活⁉️

食卓はいつも、里山でとった、つくしやゼンマイ。マクロビみたいな食卓だった記憶?里山にいくと、生き生きしていた父を今でも思い出します。しかし、わたしは反面教師でした。お子様ランチのある百貨店やキラキラした夜景の都会に憧れていました。

うちは宮澤賢治さんのように仏教など宗教には入ってなく、無宗教ファミリーでしたが、本家の母方おばあちゃんは、よく南無妙法蓮華経と毎日お仏壇で唱えていたような記憶はあります。

父は宮澤賢治さんの童話に救われていたのかも?20年前くらいに、父が癌を宣告され、晩年にずっと書いていた童話も、宮澤賢治さんの作品を思わせるようなものでした。たしか新聞社で何か賞を取っていました。

父の童話は、動物が出てきて、自分の子ども時代が出てきて、弱い者いじめをしてはいけないという倫理をついたものだったこと、覚えています。また、そこには弱いものを助ける正義があり、大志があり、風の又三郎のような、転校生との葛藤などが描かれているから、転校を何度か繰り返した自分を重ねていたのかな。

と、思った記憶があります。

あの頃、もしインスタやnoteがあれば、父の作品もバズったかもしれない。

いま、宮澤賢治さんの魅力を改めて知りたくなりました。そして、米津さんのことも知りたくなりました。

理由は、理念に基づいてメンタリングをしたいから。

父のオタク気質と、抱く大志は、わたしや弟にも影響がありました。弟は、医大で脳腫瘍の研究者になっていますが、わたしは、普通の人間ですが、理念の追求が好きで、いつも独自に調べています。何か社会の中で人の役に立ちたい。そこに存在意義を感じます。

夕飯食べながらも、トップマネジメントの映像や記事を夢中でみてるくらいだから、多分本当に、根っから好きなんだと思います。

社会のためになるなら、人はブレずに邁進できます。それって、実は宮澤賢治さんの生き方にも、現れています。彼もまた、自分の信念を貫き、短い人生を濃く生きた一人だと感じます。

トップの理念を組織の隅々まで浸透させたい。

わたしは、スタイルアンドメンターで、トップの理念を、ボトムアップで伝える伝道師になりたいと、実は思っています。企業は、理念を社員もアルバイトにも浸透させ、みんなが理解していなければならないと、わたしは思うのです。

スタイルアンドメンターの活躍は、ただ、人を癒したいだけではなく、組織のパワーを高めていき、成果に繋げることを、しっかり目標にしていきたいという想いがあります。




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