見出し画像

男とか女とか。(または「みんなのpassion」)

有名な話だが、エレファントカシマシには「〇〇男」というタイトルの曲が多数ある。
「男は」「女は」とうたう歌詞も多い。そのように性差をあからさまに示すことは、あまりいまどきではないと言えるだろう。

私は世間一般の人々よりはややフェミニズムとかジェンダー平等とかへの関心が高い人だ。「女だから」というジェンダーバイアスに抗って生きてきたことは否めない。
側から見るとめんどくせい女と思われてもいたしかたない。

そんな私が、宮本さんのつくるうたを不快に感じないのはなぜだろうと考えた。

おそらく宮本さんの性自認は男性であり、性的指向、恋愛対象は女性だ。
だから「男」とは自分自身の現状や目指す姿であり、「女」とは自らの理解を超えた神秘または恋愛対象にこうあってほしいと夢想する姿なのではないか。そしてそれは彼にとってのそれであり、だれに強いているものでもないのだ。

2021年6月・7月にNHK「みんなのうた」で放送された「passion」。
歌詞の一人称は「俺」で、「どの道 この道 俺の道」とうたう。
「みんなのうた」なのだからもう少しニュートラルな表現でもよいのではとも思ったものだが、疾走感がありかろやかで、それでいて力強いこのうたには相応しく感じる。

NHKテキスト「みんなのうた」のインタビューで、宮本さんはこの曲について、
「歌詞では『俺の道』となっていますが、『私の道』『僕の道』でもいいわけで、みんなにも共感してもらえるのでは」
と語っている。
少し前のインタビューでは「ジェンダーレス」という表現も見られた。

そしてROMANCEで顕となった自らの女性性と、自分とは異なる性への深い畏敬。
「理解できない」から拒絶したり卑下したりするのではなく、分からないからこその畏怖をもち、尊重する。女性で在ることの居心地の悪さ、生きづらさを感じずにいさせてくれるのだ、このひとは。
ROMANCEでうたわれた彼女たちに愛情を寄せるのと同じように、いっしょうけんめい生きてさえいれば、きっとなんらかのかわいさ、美しさを見出してくれるんじゃないかと思える。

女である前にひとりの人間として受容される心持ちと同時に、女としてこのうえなく魅力的な男のひとに恋焦がれるよろこびも与えてくれる。宮本浩次とはそういうひとなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?