向き合うということ

エレファントカシマシのデビュー25周年にあたり発売されたデビューアルバムのデラックス盤には、付録としてデビューから半年弱のころに行われたコンサートの音源が付いていた。
このコンサートの曲間のおしゃべり、いわゆるMCが実に興味深い。

宮本青年22歳。
想像だけれどこの人はお育ちがよい。
セレブとかいう意味ではなく、極めて常識的なご家庭で、大切に、十分な愛情を与えられ、必要なことをしっかりと教えられて育てられたであろうことが、55歳の今の言葉遣いや立ち居振る舞いからうかがえるのだ。

そんな彼がこのコンサートでは、とんがっているというか、「悪い子ぶっている」ように私には感じられた。
第一声「へんなセット」から、曲の狭間にぼそぼそとしゃべる。そのたびに音量を上げて耳をすます。(曲が始まったら下げないとたいへんなことになる)
アンコールではその予定調和に対して「こういうのめんどくさいですね。どうせ用意してるんだから最初から全部やればいい」

その中で私の心を掴んだのが、

「見極めて、いいと思ったら拍手しなきゃ」

ただ惰性でされる拍手は要らない。
自分の音楽を真剣に聴いてほしい、そのうえでの正当な評価がほしいという高次の自己承認欲求。
ただ「僕を見て」というのではなくて、自分がすべてをかけてつくったものを、同じくらい真摯に受け止めてほしいとねがう生真面目さを感じてしまって、愛おしくて抱きしめたくなったのだ。

それから33年。55歳の宮本さんは今も全力で曲をつくり、うたい、それをより多くの人に届けるためにプロモーションをする。
彼と同じ時代に生きて、その音楽を享受できる幸せを噛みしめながら、私はそのうたに真剣に向き合っていくのだろう。
たぶん一生かけて。

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